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日々よしなしごと~お茶の稽古の疑問~

10月の終わりに行った奈良と京都の旅。一番の目的は京都国立博物館での「茶の湯」展を見に行くことだった。茶道をされている方は注目の展覧会だし、改めて京都は茶の文化が隅々まで染みわたっているところだと実感した展覧会だった。

さて、11月になりお茶の世界は炉開きという大事な行事がある。立冬を過ぎてからのお稽古日は、茶道では正月のようなお祝い事として、先生はお善哉をお菓子代わりに出されるのが恒例。その際に、先生は必ず八寸(茶事のの時の海のものと山のものの酒のアテのようなもの)を出されるのだが、能登の鮑の酒蒸しと銀杏が出る。先生が作られる鮑の酒蒸しは絶品で、毎年のこの行事の楽しみ。そもそも普段は食べられない高級品だしね。

この行事の際に執り行われる許状拝受の式には、今年は私も許状をいただいた。この許状の点前から口伝となり、書物など一切ないのでお稽古で習うことで習得するしかない格の高い点前になっていく。

しかし、この点前作法を何か茶会などで披露することがあるかと言えば、絶無なのだ。なぜかと言えば、この点前に使うお道具はすべて美術館級のもので、本物を使って茶会などは不可能。お稽古は、そんなお道具の代わりに見立てたものを使って「つもり」でするだけなのだ。
ならば、なんでそんな点前を習う必要があるの??
という疑問が湧いてもおかしくないよね・・・・

さっそく次のお稽古で、許状の点前をすることになった。いつもとは違う複雑で細かい動きで、これまでしたことがないような扱いや動きがある。一服の茶を点てお客様に出すまで小一時間かかる。先生の指導にも力が入る。
これまで習ってきたことが基本になっているが、そこに新たな動きと行程が加わりより丁寧になって、これまでの稽古をしっかりしていないと、この点前はできないという先生の言葉も納得できる。

丁寧にする理由は、想定としてお客様が偉い方だから粗相のないようにするというのとは違う。主役はお道具なのだ。
大抵の場合は茶入(お茶を入れる小さな壺のようなもの)が、当時の中国、唐から運ばれて来た貴重なもので、それが信長や秀吉と言った天下人などが所有していたという伝来のもの(大名物と言われるもの)だから、傷をつけたり壊したりなどが絶対にないようにということに加え、道具として格の高いものへの畏敬の念を表す意味もある。

譬えとしてふさわしいかどうかわからないが、西行の歌にこういうのがある。

なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる

これは西行が伊勢神宮に詣でた時に歌ったといわれるものだそうだが、伊勢神宮の神さびた空気感に素直に心打たれた様子が伝わってくる。何かわからないけども、しかし何かが確かに存在していて、その存在そのものに自然と涙がこぼれるほどにありがたく感じるということなのだろう。

古の茶人が大切にして来た道具には、長い年月や代々所有した人々の思いが、魂のように備わっているのではないか。それを引き継いだ者たちは、そのような魂の備わった道具に、最大限に敬意を表する意味でこのような複雑な作法を守らせてきたのだと思う。

ということを、イメージしながらの稽古なのであるが、見たこともないものなので想像もしようがないけどね。

それでも・・・・これが永遠のイメージトレーニングだとしても、真剣に取り組んでいると、なぜかとても気持ちがいいのだ。集中と心地よい緊張感。これはやってみないと分からない境地かもしれないが・・そうすると、この点前の意味などは正直どうでもよくて、この時間がとても尊いものになってくる。指導されながら注意されながらではあっても、終わったあとは何か達成感のような満ち足りた気持ちになるんだな。


あともうひとつ

稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一

これは、利休百首といわれる茶の稽古について歌にして戒めているもののひとつ。
つまり十を知ったのちもまた一に返り基本をさらに稽古することが肝要である。一も十もその重さは同じであるが、十を知ったあとの一はさらに磨かれているはずだ・・ということか。単にマニュアル通りの点前をすらすらできることが大事ということでもなく、その人なりの心のありようとか茶の湯への向かい方の深みがあるはず・・・

このあたりが、茶道が禅と深くつながっていると思えるところと言えるかもしれないが、いろんなことにも通じる精神性かもしれない。
単に、一つのお点前をよどみなくできることがゴールともいえないところが茶道のあいまいさでもあり、深いとも言える。
この終わりのなさを自分の中でどうとらえるかが、きっとお茶を楽しむコツ
かもしれない。

むしろ、私はこのどこまで行っても「あなたは終了したので卒業です」と言われないのは、ありがたいなと思う。「道」と付くものはおしなべてそういうもの。「道」とはゴールのない道ということなんだよね。

なんでこんなことを?
という疑問。そういう小難しいことを考えるのも、悪くないなと思う。


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