新潟見附のマンガン絣
「マンガン」と聞くと、何を思い浮かべますか。
1番身近なものといえば、マンガン電池…?
その電池にも使われている鉱物が、実は染色にも使われているんです。
「マンガン染め」といって、酸化と還元で色が変化するマンガンの性質を活かした染色技法です。
マンガンで染めた糸で反物を織り、プリントで酸化還元を用い柄をあらわします。
大正時代に新潟県見附市で開発されました。
和服が普段着として一般的だったころ、工芸品の「絣(かすり)」を模した量産型として開発されました。
本物の絣は糸を縛って染め分け、それを織って文様を表現する手工芸品です。
糸の染め分けと織りによるかすかな ″ズレ″ が ″ぼかし″となり、それがえもいわれぬ味わいとなった日本らしい染織表現です。
絣について詳しくは、こちらをご覧ください。
出典元:みんげいおくむら
とはいえマンガン絣も糸を手染めしたりおがくずを使ったりと、工芸品と量産品の間ともいえる貴重な技。当時は一躍人気となり、技術が広まり日本各地で生産されました。
しかし、時代とともに和装の需要が減り、マンガン染めができる工場は、いまや日本で一軒のみ。新潟県見附市にある(株)クロスリードです。最後の一軒になってからもう30年は経っているといいます。
新潟の見附地方は「新潟のへそ」ともよばれる新潟のど真ん中。
栃尾、見附、長岡と古くから繊維産業が栄えました。
まだ寒さの余韻残る3月末、新潟へ。マンガン染めの現場を見に、工場を訪れました。
雪解け水がごうごうと流れる川のほとりにある工場、到着するとさっそく中を案内してもらいました。
私たちのこの夏の「海芋柄」をプリントしている真っ最中です。大きな機械の前で、職人さん達がきびきびと動いています。
クロスリードの一日の仕事は、みんなでラジオ体操から始まります。
マンガン絣は需要が少ないので、月曜の朝一番から、決めた日にしか作業を行いません。そのほかは別の織物やプリント、加工を主にしている大きな工場です。
職人さん達、下は60歳、上は79歳とベテラン揃い。アベンジャーズのように、その日を目がけて手練れの職人さん達が集結します。普段は別の仕事をしている職人さんで、それほどマンガン染めを出来る手が少ないのです。
まずは織からはじまります。
茶色いマンガン染糸と、今回は薄レモンイエローの糸を交互に配しました。
糊に含まれた酸化剤とマンガンが反応して、茶色の糸がグレーに変色します。
次におがくず付けの工程です。
前掛け、ゴム長、ゴム手にマスク、完全防備のいでたちで、リズミカルにおがくずを補充する職人さん。
このおがくず工程は、プリントした柄糊に蓋をする役目があります。これをしないと、ベトベトがあらゆるところに広がり、柄がぐちゃぐちゃになってしまいます。しかし、工程上完全に防げないところもあり、うっすらと地にグレーが出ることも、今回の海芋柄のように、モチーフとモチーフの間があいた柄だとなおのこと目立ちます。
均一的な綺麗な顔の商品とは一線を画す、この特殊な染色ならではの味のひとつと捉えて頂ければと思います。
つぎに、還元をします
のこりの地を白くする作業にはいります。
中和剤のプールを潜らせると、プリントしたところ以外のマンガンが反応して、白く変化します。
そして生地が出来上がり、縫製へ
マンガン染めとこれから
職人さん曰く
「ずっとやってきたけど、まだまだ発見がある。マンガンは生き物だよ」
「判で押したような同じ具合にはいかないしね、色が赤みにふれたり、季節によっても変わってくる。難しいね。」
ベテランの職人さんでも難しいと感じる、特別な染色です。
「生産性を上げるために何かを犠牲にすることより、繊維の良さ、手の良さが見えるものづくりをしたいし、織物の楽しさや個性を楽しむ余裕を知ってもらいたいな」
「過去の良いものを再現して、新しいものにも挑戦したい」
と、前向きな言葉でした。
どこの産地、どの業種でも、後継者問題の話を耳にします。
洋服づくりはもとより、どの洋服を選び、手にするか。そんな風に問われている気がしました。
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