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まず自分が助かること

3.11の時に、街の人がみんないなくなってしまう可能性があるんだということを感じた。

地震がきたらどうすればよいか?その後すごく考えてた。
細かな準備(笛とかスリッパとか)の話はひとまず置いておいて、
よく聞く話としてありますが、「まず自分が助かる準備」。これが大切だと思っています。

たとえば地震が来て、自力で助かることができる人が10人中5人の場合と、10人中1人の場合では、総数として助かる人数が変わってきます。
「まず自分が助かる準備」は、こういう場合は人を救うことにつながると思っています。


さて、話したいのは地震のことではなく、
「まず自分が助かる準備」は、この世で生きていくためにも大切なマインドだなと思うという話です。

わたしは誰かが嬉しそう楽しそう幸せそうにしていると「あー嬉しいなー」って思うのですが、多くの人がそうなのではないかと思っています。

だから人が喜ぶことをしたいと思うし、安心してほしいとか優しくありたい、なにかのときは助けたいと思います。

でもどうでしょうか。
最近とても不思議に思っていることがあるのです。

「人の救いになりたい」「人のためになりたい」と思って行動している人の多くが「自分より相手を大切にすべきである」と思っていること。

自分の幸せよりもまず相手に手を差し伸べることが、やるべきことであると思っていること。


わたしはそれは全然違うと思っています。


大怪我をしている人に「捻挫したから肩貸して」とは言えません。
誰かを亡くした人に「寂しいから癒してくれ」とは言えません。
それは一緒に倒れていくだけだから。
そんな状態で「手を差し伸べるよ」と言われても、頼るに頼れない。

まずは自分が責任持って自分を幸せに楽しくすること。
人に手を差し伸べるより前に、まず自分に手を差し伸べてほしい。




こういう人は基本的にすごく真面目で優しくて繊細なんだろうと思います。

それなら自分に対してまずは全力でそれを注いでほしいと思います。

これは別の言い方をすると、「人を助けることで許されようとしている」とも言えます。
「我慢してるから」「頑張っているから」存在を許されようとしている。
それだと主従が逆になっています。

わたしはそういう人を見ると、頼るどころか心配で苦しい気持ちになります。

自分の存在を認めるのは自分自身がやることで、
それはアンパンマンみたいに身を削ることで達成されることはほぼない。
人を助けたい人にとって、自分をまず幸せにすることは責任だと思いませんか。
責任を持って身勝手に自分を幸せにしようと行動してみてほしい。

たとえば「モンブランとミルフィーユどっちが食べたい?」と言われたら「絶対にモンブラン!」と言ってみてほしいし、
「なにか困ってることある?」と聞かれたら「今全然人手が足りてないから助けて!」と言ってみてほしい。

そしてやってみたあとに起きる感情は「あ、わたし絶対幸せでいなくちゃ」です。こんなに人に迷惑をかけて身勝手しているんだから。
真面目なあなたはきっとそう感じます。

それができるようになってから、人に手を差し伸べることをしてみてほしいです。
この話に思い当たる人は、みな優しい人だと思うから。
かつて人のためにと我慢をしていた自分のことを思い出して、参考までに。

(あくまでもこれは自分と似たタイプの人にむけているので、人の手助けや優しさがすべてそういう形のものではないということも補足として書いておきます。)

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