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自分のせいじゃないことまで、自分のせいにしなくていい

オリジナル記事掲載日:2020年12月30日

わたしは何か問題が起きた時、
相手のせいにばかりしていると
前に進めないので、
「自分に何か問題がなかったか」
と振り返るようにしています。

しかしだからといって、
自分のせいじゃないことまで
自分のせいにしなくていいんですよね。

パートナーの失敗を過剰に自分のせいにしていた私

きのう仕事が一段落して、
もうものすごく漫画が
描きたかったので、
朝からひたすら
漫画を描いていました。

で、夕飯の準備は基本いつも
わたしがするんですけど、
パートナーが
「僕が夕飯の餃子を焼く!」
と言ってくれたので任せたんです。

黒焦げになりました。

彼はものすごく落ち込みました。

「失敗した。
もうこの失敗だけで
今年一年が台無しだ」
って言うくらい、
落ち込みました。

わたしは、
「わたしのせいだ」
と思いました。

いつものようにわたしが
料理をしていれば、
餃子は焦げなかった。
だってわたしの方が
料理が得意なんだから。
餃子が黒焦げになったのは
わたしのせいだ。

わたしが自分のやりたいことを
優先したせいで、
彼に「今年一年が台無し」
とまで思わせてしまった。
彼が落ち込んだのも、
わたしのせいだ。


っていう話を彼にしたら、
「いや、単純に僕が
餃子焼くの失敗しただけだよ。
ただそれだけの話だし、
僕のせいだよ」

と言われました。

相手の課題と自分の課題を混同してはいけない

あ、わたし、また
「相手の課題」を
「自分の課題」に
していたなー、と思いました。

わたしの好きな
アドラー心理学では
「課題の分離」という話が
出てくるのですが、

悩み苦しむ人って、
だいたい多くの人がこの
「課題の分離」が
できていないのです。

「私が〇〇したせいで、
相手は〇〇になった」
と思うんですね。

何でもかんでも
相手のせいにするのは
確かに良くないことだし、
自分の行いを
反省するのもまた
確かに大事なことです。

しかしやっぱり、
自分のせいじゃないことまで
自分のせいにしなくていい
んですよ。

「餃子を焦がした」のは「彼」です。

「餃子の焼き方を
監督しなかった自分」
のせいでも、
「夕飯の準備を任せた自分」
のせいでもありません。

「餃子なんか焼きたくないよ〜、
一人でできないよ〜」
っていう彼に無理やりやらせて
失敗したのなら、
たしかに少しはわたしのせいも
あるかもしれませんが、

「僕がやる!」って言ったのを
「じゃあお願い!」って
言っただけなのです。

自分の好きなことに突き進むのが怖くて、立ち止まる理由を作る

こういう時に
「わたしのせいだ」って思うのって、
結局「自分を責めたい」とか
「自分の好きなことをやるのが怖い」
だけなんですよね。

2020年、わたしはずっと
抑えつけてきた
「創作漫画を描きたい」
という自分の願望を
思いっきり解放しました。
(正確には、描き始めたのは
去年秋くらいからだけど)

なのにいまだに「怖い」のです。
自分の夢を叶えるのが。
自分に好きなことを許すのが。
長い間、
「そうしちゃいけない」と
思い続けてきたから。

だからこういう
アクシデントが起きると、
嬉々として
わたしの中の検閲官が

「ほーーーーらね、やっぱり
お前は自分の好きなことなんか
やっちゃいけないんだ!
お前が自分の好きなことを
やったから、お前の大事な人が
苦しんだんだ!
どうだわかったか!
それが嫌ならもうやめるんだな!」


って言ってくるんですよね。

ああ、また負けるところでした。
危ない危ない。
わたしは負けません。

きっと、わたしの中の検閲官と
同じような声に負けて、
「自分の好きなこと」を
抑えつけてしまっている人が
沢山いるんだろうな、と思います。

ねえ、あなたのせいじゃないですよ。
あなたが好きなことをしたせいで、
周囲の人が不幸になるわけじゃ
ないですよ。

何が怖くて、自分を責めているの

自分のせいじゃないことを
自分のせいにしている時、
人は必ず自分の中にある
「恐怖」に負けています。

あなたはどうして、
自分のせいじゃないことまで
自分のせいにしてしまうのでしょう。


あなたは一体、
何が怖いのでしょうか。
何が怖くて、
何を手放したくなくて、
自分を責めているのでしょうか。

ごきげんよう、さようなら。

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