感情(特に怒り)は、ウンコ。〜ウンコは他人にぶつけない〜
最近あまりにもカウンセリングでこの話を相談者さんにするので、もうnoteに書こうと思いました。
感情(特に怒り)は、ウンコです。
ウンコは一人で出すもので、他人にぶつけるものじゃありません。
私が感情=ウンコと知ったきっかけ
そもそも私が「感情=ウンコ」と知ったきっかけは、尊敬する心理カウンセラーの根本裕幸さんが、そのような上品な話をされていたからです。
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根本さんは常々「自分の言っていることは、パクっていいよ!」とおっしゃる懐の深い方で、私もお言葉に甘える形で「感情=ウンコ」をパクっていました。
そうしたら思いのほか、相談者さん達の反応がいいのです。
ヤンキー+チンピラ(あるいはバンドマン)のような容姿の私が、急に「ウンコ」とか言うのが意外すぎて面白いからではないかと自負しています。
なぜ猛烈な怒りを人にぶつけてしまうのか
私がかつて患っていた境界性パーソナリティ障害もそういう症状があったんですけど、大声を上げて他人を怒鳴ったり、暴言を吐いたり、相手の人格否定をしてしまう人ってけっこう多いんですよね。
私の場合は言ってから後悔と自己嫌悪をしてしまうことが本当に多くて、しんどかったです。「でも自分ではコントロールできない、抑えることができない、どうしようもない……」と思っていました。
しかし病を克服した今思うんですけど、心の奥のずーっと奥には、「私はこんな風に、他人へ怒りをぶつけてもいい」と思う心があった気がしました。
それはおそらく、つらい思いを我慢した幼少期とか、自傷したり色々したりなんかして死ぬほど苦しかった10〜20代があってこそなんでしょうけども。
「あんなにつらい目にあったんだから、私は怒りをぶつけていい」みたいな謎理論が、自分も意識していないような心の奥底にあった気がします。
「怒り=ウンコ」と思うことの何がいいのか
やっぱり人間って、わずかでも自分に「正当性がある」と思ってるとやっちゃうんですよね。
それがたとえ、表向きには「こんな事したらいけないって分かっています」と言っていたとしても。
過去の私だって表向きには「こんなのダメだと思う」って言ってましたよ。ダメな事してる自分が嫌いだから、早く自分を殺したかったですし。
私は、人間が心底「やめよう」となるのって、恥を感じたときだと考えていまして。
なんかやっぱりどっかで、「これには正当性がある」とか、「自分かっこいい」とか思ってるとやっちゃうんですよ。
でも「怒りをぶつけるのは、他人にウンコぶつけてるのと同じですよ」「人にウンコ投げないでしょ?」って言われたら、なんかそうしてる時の自分が猛烈に恥ずかしいというか、「うわ……やめようかな……」ってなるじゃないですか。
特に女性は「確かに……」と言ってやめようとする人が多いのですが、男性はどうなんでしょうか。最強伝説黒沢に憧れて、「いいや、自分もウンコ投げたい!」となるのでしょうか。
まだ1巻しか読めていませんが、最高ですねあの漫画。
いつかどこかの誰かが、猛烈に誰かを怒鳴ったり暴言吐いたり人格否定しているときに、
「あっ……いま私、ウンコ投げてる……」
って思い出してくれたら幸いです。
ごきげんよう、さようなら。
◎私がかつて患っていた境界性パーソナリティ障害についての記事はこちら
◎尊敬する根本裕幸さんに監修していただいた私の著書
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