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「死にたい」の奥にある願望に気づいてほしい。あなたはアッパー系?ダウナー系?

オリジナル記事掲載日:2021年2月20日

わたしはネット発信でも
心理カウンセリング内でも、
「気づいてもらう」ことに
重きを置いています。

今回は「死にたい」をテーマに
画像を作りました。

* * *

先日の「他人軸の記事」
そうだったと思うのですが、
「言われて初めて気づく」
ことってあると思うんですよ。

かつてのわたしも
そうだったのですが、
精神病全盛期の頃は
「とにかく死にたい」
という気持ちで
脳内がいっぱいでした。

すごくすごく苦しかったです。

しかし、寛解した今思うのは、
本当にしたかったことや
叶えたかったことは
「死ぬこと(自殺)」ではなくて、
別のことだった
と思うのです。

まずはこちらの画像をご覧ください。

こちらは
「『死にたい』と一口に
言っても色々な気持ちが
あるよね」と思い、
わたしなりにざっくり
まとめた画像です。

大きく分けると
「アッパー系」と
「ダウナー系」に
分かれるのではないかと
考えました。

あえて薬物と同じ
表現にしたのは、
「死にたい」という気持ち
(希死念慮)にも

・気持ちを高揚させる
・依存状態に陥ってしまう
・気持ちを落ち着ける


など、薬物と似た効果が
あるな、と感じたからです。

* * *

「怒り」
「他人に責任がある」
という思いから起きる
希死念慮をアッパー系、
「空虚さ」
「自分の不甲斐なさ」
を感じて起きる
希死念慮をダウナー系と
しています。

この画像をTwitterに投稿した所、
引用RTの傾向を見ていると
圧倒的に「自分はダウナー系だ」
という方が多かったです。

また、アッパーとダウナーの
混合系の方も何名か
いらっしゃいました。

わたしも元は
「アッパーとダウナーの
混合系」でした。
(だからこんな画像を
作れるのだと思いますが)

というより、
最初はアッパー系の
希死念慮が強く、
徐々にダウナー系の
希死念慮が増え、
最終的には
「別に死ななくてもいい」
と思い始めた頃、
本気で死にかけました。


(もちろん自殺行為で。
でもその時は本当に
死ぬ気はなかった)

なので、「死にたい」人が
精神状態をほぼまったく
回復させていない状態で、
「死にたい」と
言わなくなったり
思わなくなってきた頃が
一番やばいんじゃないか、

と考えています。
(研究を行った訳ではないので
あくまで個人の経験ですが)

* * *

希死念慮を一度も
持ったことのない人から、
よく
「死ぬ死ぬ言う人って
結局死なないですよね?」

という質問をいただきます。

画像内にも書きましたが、
みなさんがおっしゃる
「死ぬ死ぬ詐欺の人」は
おそらくアッパー系の方に
多い
ように感じます。

なぜ「死ぬ死ぬ言っているのに
死なないのか」というと、
他人に対する怒りや恨みが強いので、
逆にそれがエネルギーとなり

「何であいつらが悪いのに、
自分が死ななきゃいけないんだ!!」


という気持ちから、
希死念慮が薄れることが
あるんじゃないかと
思うんですね。
(わたし自身は
そのパターンでした)

だから「怒り」には
人を生かす力も
あるんじゃないかと
思うのです。

* * *

しかしながら、
「怒り」というのは
持続し続けるのが困難な
エネルギーなので、
だんだんと
「こんなに怒っていても
どうしようもない。
何も変わらない。虚しい」

という気持ちに
なりやすいです。

わたしがアッパー系から
ダウナー系希死念慮に
移行したのも、
おそらくそのためでは
ないかと考えます。

画像内に
「こういう人たちも
うっかり死ぬことがある」
と書いたのは、

アッパー系の人が
急にダウナー系の
希死念慮に落ちると、
その勢いでうっかり
本気で死ぬ行動を
取ってしまいやすいから
です。

アッパー系の人は元々
すごいエネルギーを
持っているので、
そのエネルギーをもって
「死」に直滑降して
しまうんですね。

ずっとダウナー系の人は、
「死ぬエネルギーも起きない」
(そのくらい心身ともに
疲弊している)

ことが多いので、
アッパー系とダウナー系を
交互に行っている人より
「死に直滑降する」ことが
少ないのではないでしょうか。

直滑降はしにくいけれども、
「生きたくもないし
死にたくもない」
という
苦しい状態がずっと
続いてしまう気がします。

(もちろん、だからといって
ダウナー系がまったく
自殺しないわけでは
ないでしょう)

* * *

かなり解説が長くなって
しまいましたが、
わたしの言いたいことは

「アッパー系の人も
ダウナー系の人も、
『死にたい』の奥にある
願望に目を向けてほしい」


ということです。

「死にたい」で脳内が
いっぱいになっている時は
気づけないのですが、

「〇〇ができないから、
それを叶えるために
死んでしまいたい
(死んでやりたい)」


という気持ちが
あるんじゃないか、
と思います。

あなたが抱えて
苦しんでいる
その「願望」は、
本当に死ななければ
叶わないのでしょうか?

いや、自分もその当時は
「もう死ぬことでしか
叶えられない」
と思っていたので、
こんな質問をしても
何の意味もないことも
わかります。

それでも、「願望」に
目を向けてほしい、
どうか気づいてほしい、
と祈っています。

わたしがあの頃
したかったことは、
「死ぬこと」ではなく
もっと別のことでした。

結果的に死にぞこなった今、
「死ななくても叶うことが
ほとんどだった」

と思います。

あるいは、
「死ぬほど叶えたい
重大な願いではなかった」

と思うこともいくつかあります。

あなたの願いは何でしょうか。

死ぬ以外で叶える方法は
ないのでしょうか。

もしくは、本当に
自分を殺してまでも
叶えたい願いなんでしょうか。

* * *

3日前(2019年2月17日)、
Twitterに投稿したこの画像は、
ずーーーっと細々と拡散され続けました。

「死にたい」人が
これほど沢山いるのか、
と正直やるせない気持ちで
いっぱいです。

わたしには「死にたい」人を
全員救うような力はありません。
この何百人のうち誰も
わたしのカウンセリングには
来ないだろう、と思っています。

それでも、「気づく」だけでも
変わることがあるはずだ、
何人かでもいいから
「気づいて」ほしい、
そう願っています。

ごきげんよう、さようなら。

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出版社から出していただいたものと自費で出したものとありますが、どちらも初心者向け心理学本です。

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