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「自分を苦しめるあの人」から離れられないと思い込んでいないか

人間は周囲の人間の影響を受けやすい。

心理カウンセリングなどやっていると、「急に感情が爆発したり死にたくなったりする、この感情の起伏をなくすにはどうしたらいいですか?」という相談をとてもよく受ける。

話を聞いていると、大概「恋人が暴言を吐いてくる」とか「家族が自分を全否定してくる」とかで、「感情を平坦にする方法を探すより、その恋人(家族)と離れる方法を探した方がいいのでは?」と思ってしまう。

まあ、それを言ったところで「でも……でも……」となり、「いかに離れられないか」を詳しく説明され、最終的には「あの人のせいで自分は精神がおかしくなる、でも離れられないから死ぬしかないと思ってしまう」となるのだが。

わたしもかつてそういう人間だったので、その人たちの抱える気持ちも悩みも非常によくわかる。が、やっぱり、「この世に離れられない人間など一人もいない」と思ってしまう。

離れられないのではなくて、自分が「離れたくない」だけだ、と。
自分がうまく行かないのも、自分が苦しいのも、自分のダメなところもすべて「あのひどい人」のせいにできるから。

わたしもずっと、自分がうまくいかないのを、母親と叔母のせいにしていたなぁ。

今もたまに気持ちが昂ると、同居してるパートナーに向かって「○○ちゃんがこう言ってくるからこうなった!」と言ってしまい、その数分後に「うわ〜〜〜〜ん、完全に自分のせいなのに、今○○ちゃんのせいにしちゃった〜〜〜〜ごめんね〜〜〜」と謝ったりするのだが。

素直に謝れるわたしはえらい、と自負している。(怒り方も謝り方も小学生感がすごいけど)

周囲の人々は「あなたには彼じゃないと無理」などと言ってくるが、わたしはハッキリ言って「離れられない人」とは1ミクロンも思っていない。
ただ、今のわたしが「一緒にいたい!」と思っているから一緒にいるのだし、彼もまた同じ気持ちなので一緒にいるのだと思う。

彼がわたしと一緒にいて苦しそうにしていたら、すぐ離れてあげたい。
また、自分も彼と一緒にいて苦しくなったら、すぐ離れたい。

最近のわたしは、恋人も家族も友人も取引先も依頼主も「この先のわたしの人生に必要か?」で判断するようになった。

必要ない、と思ったら関係が切れる方向へ向くようにしている。もちろん、相手もわたしのことを「必要ない」と思ったら、すぐ切ってくれて構わない。

「関係を切られてもいいや」と思うと、本当のことが言える。本当のことを言うと縁を切られてしまう関係、というのは、その相手と関係を続けるためには「ずっと嘘の自分でいなければいけない」ということだ。

わたしは精神的負担で全身にじんましんが出てしまうような体質の持ち主なので、じんましんを出さないためにも「自分を偽らなければならない」関係は即切っていきたい。
だってじんましん、かゆいもの。猛烈に。

「相手に合わせて自分を押し殺すのが美徳」とされている日本で、こういう生き方は生きづらい。
なのにずっと仕事の依頼などを頂けていて、本当にありがたいなぁ、と思う。

切った縁の数だけ、新しい縁が増えていく。
むしろわたしは「あの人と離れられない」と思い込んでいた時のほうが、孤独だった。

「この人と離れたら自分の人生は終わってしまう」と思い込んでいる人へ、そんなことで人生は終わらない。
わたしたち人間はそんなに弱くない。

その人といるせいで苦しみ、今の場所で立ち止まったままでいるのであれば、それがすでに「人生終わった状態」じゃないのか、と思う。

切った縁の数だけ、新しい縁は増えていく。
だから大丈夫。

もしそれでどんどん孤独になっていくのだとしたら、あなたはもっと自分を見つめ直さねばならない。
「自分の悪い点は何か」「自分の何が、自分を孤独にさせるのか」を。

縁を切っても新しい縁が繋がっていく人は、きっと「何も間違っていない」。
あなたはそんなに悪人じゃないし、出来損ないでもない。だから大丈夫。

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