ライターじゃなくてコラムニスト(作家?)になりたかったのか、わたしは
「文章を書くのが好きだな」と思い、2017年にライターとしての活動を始め、しばらくの間「イラストライター」と名乗っていた。
イラストレーターとライターを兼業していたので、「(アイキャッチ)イラストも描けるライター」という意味だ(単純)。
今年に入って急にその肩書きを捨て、「漫画家カウンセラー」と名乗り始めた。2019年末にカウンセラー業務を開始し、「漫画も描けるイラストライター+心理カウンセラー」と名乗っていたが、「長い!」と思ったからだ。
漫画の仕事が増えてきたし、ていうかもっと増やしたいし、イラスト制作とカウンセリング業の比率が高くなってきたな、と思ったから。
あと、わたしは別にライターになりたいわけじゃなかったんだな、と気づいてしまったからだった。
* * *
色々なところでライティング業務をしていて、「ライターとは、色々な情報を集めて、それをまとめる仕事なんだな」と気づいた。
わたし個人の体験談や、わたし個人の見解は必要ない。
「その道の人」を取材して、その人の言った言葉をまとめたり。
「いろんな一般の人たち」の意見を集めて、それをまとめたり。
何らかの情報について調べまくって、時には本の引用をして、まとめたり。
もちろんわたし個人の体験談を書くライティング業務もあったが、基本的には「体験」して得た「情報」をわかりやすくまとめる、という感じ。
ハッと気づいた。わたしは「個人の主観的な見解」を書きたいだけだったのだ。それは多分「コラムニスト」だ。
もちろん「ライター」として「コラムニスト」的な活動をしている人もいるが、おそらく一般的にいう「ライター」には「その人の主観的な見解」を求められていない。
わたしは完全に勘違いしていた。風景を撮影するのが好きで「写真家になりたい!」と写真業界に入り、ずっとウェディング写真を撮っているようなものだ。それではいつまでも、風景写真の仕事はできない。ウェディング写真でも風景は少し映り込むけど、なんか違う。
では、コラムニストになるにはどうすればいいか。試しにGoogle先生で「コラムニスト 募集」を検索してみた。ズラーーーッと「ライター募集」のページが引っかかった。
おそらくここで募集されているライターは、「情報をまとめて読みやすくする」タイプのライターだと思う。
そこでさらにハッと気づいた。世の中で「コラムを書いている人」というのは、“すでに何らかの道で有名な人”ではないか。
何らかの実績があるから、みんなが「その人の主観的な見解」を聞きたくなる。その辺の無名素人の「主観的な見解」なんて、誰も知りたくない。
よく考えたら「作家・コラムニスト」という肩書きの人は多い。それはすでに「作家」として何らかの形で有名になっているから、「コラム」を依頼されるのだ。
なるほど、ということは「コラムニスト」になるには、「何らかの道で自分の存在を確立する」必要がある。
わたしは「ライターになる道」を歩いてきたが、それは「コラムニストになる道」ではなかったのだ。
こういうことは世の中よくある。「なりたいもの」と「実際歩いている道」がまったく違う、ということ。「なりたいもの」には「それになるための道」を知らなければいけない。
どれだけ努力して「ライターの道」を歩き続けても、「コラムニストの道」はそのもう一本別の通りなので、わたしはコラムニストにはなれない。
……ということで、ライター業はもういいのかなあ、と思いつつある今日この頃。このnoteとブログで主観的見解はすでに垂れ流しているし(それでもあまりにも主観じゃダメなものはちゃんと調べているけど)、「ライター」としてやらなくてもいいのかなって。
絵や漫画より文字を書くのは簡単にできるから、それが仕事になったらめっちゃいいじゃんと思っていたけど、ぶっちゃけ他の業務に比べて一番利率が低い(今のところ)。
利率が低くても好きだったら全然やるけど、「情報を集めてまとめて文章にする」のはそんなに好きなわけじゃないし、何のためにやっているのかよくわからない。
でもそんなことを思い始めたのは、noteのせい……というかおかげだと思う。noteで自分の文章を売れるんだもの。noteの文章が全然売れなかったら「やっぱりちゃんとした所でライターやって、決まった報酬をもらう方がいいなー!」って思うだろうけど、note、売れるんだもの。
では特にオチもなく、終わりです。
※今日の画像もみんなのフォトギャラリーから拝借しました。
素敵な万年筆だなあと思ったので。そういえば自分の万年筆はインクが切れてから、ずっと補充していない……久々に万年筆で書きたいですね。
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