【エッセイ】ポンコツ
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私はポンコツだ。
こういうと抽象的すぎるのでもう少し具体的にいうと、「天然」だとか「うっかり屋」だと呼ばれる類の人間だ。
人間関係においてはそれがプラスに働くこともある。「かわいい」だとか「面白い」と言われ、好かれたりするのだ。私はこれに結構救われている。
けれど、仕事においては違う。
些細なうっかりミスであったとしても、それを頻発するとなれば間違いなく足でまといになる。
当然仕事場でも人間関係においてプラスに働く部分もあり、ある程度好かれることがあるとしてもだ、下手に振る舞うと「仕事で足でまといなのに、なぜか面白いとかなんとかで好かれてるいけ好かないやつ」になってしまう。特定の相手には好かれて許されたとしても、特定の相手から睨まれることが増えてしまうのだ。
「仕事」はプライベートとは違う。
まず、些細な失敗でも、その失敗の尻拭いをするのは自分でない場合の方が多い。例え些細な失敗であったとしても、失敗した分は、私でない誰かに負担が行くのだ。
そしてそれが頻発するとなると、間違いなく私は「迷惑な存在」「足でまといなお荷物」になっていく。
そうなると心理的にもキツくなってきて、肩身が狭くなり、ただでさえ多いミスも更に増える。悪循環だ。
ミスを減らせばいい、という人もいるだろう。そのための努力をしろ、という意見もわかる。すごくわかる。
だけどミスしちゃうんですよねぇええええ。
何でかわかんないけどド忘れしたりうっかりしたりの沼から抜け出せないんですねええええ。
幼い頃からずっとそうだった。
改善するためにメモを書いたりチェックしたりもやっているけれども、ゼロにはならない。
そしてミスをするたびに、「またか」と思われる。この「またか」が本当につらい。
何より、私が一番「またか」「もういい加減にしろ」と思っている。
そのミスが、誰かの迷惑になる。小さなミスだったとしても、繰り返せば繰り返すだけ誰かにしわ寄せが行く。それが社会だ。それが「仕事をする」ということだ。
この「うっかり癖」……つまりポンコツさが学生時代にはそこまで直面することのなかった、それでもうっすらと自覚していた私の「社会不適合性」の大部分を占めている気がする。
まあ、離職率の高い職場によくいたのも事実ではあるけれど、そもそも私は「仕事」自体に向いていないのだろう。
上手くいかなかったこと全てを職場のせいにはできない。
仕事をすることが人間の全てではないと聞くし、私もその言説に縋りたいけれど、悲しきかな、現行の社会において「仕事のできない人間」は「人間失格」とほぼイコールだ。
食い扶持を自分で稼げない人間が、それでものんびり生きていけるほど、世界は優しくない。福祉の制度や公的な扶助はあるかもしれないが、それを使うにしても世間の目は厳しい。
ポンコツは生きる価値無し!
いつからか、そんなふうに思われているのだろうなと、
本当は早く死ねと思われているのだろうなと、恐怖心や罪悪感が募るようになった。
自分が死ぬことは正義で、生きることが邪悪であるように感じるようにもなった。
もちろん、私は私以外の全てのポンコツに幸あれと思っている。ポンコツであってもそれ以外であっても、より多くの人がそれぞれの居場所と幸福を掴める世界が理想だなとも考えている。
でも自分のことはどうやっても許せない。
私の存在って、ほかの人の幸福を邪魔する側ではなかろうか? ……と、思うことも多い。
なんだか嫌になってきちゃったな。
人の迷惑になったり、不幸の原因になったり、他人を犠牲にしてまで生きたいわけじゃないんだよなぁ。
本当に、どうしたらいいんだろう。
ここまで読んでくれてありがとう。
あなたに、少しでも良いことがありますように。
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