会社辞めて起業する~オフィス入居面接


起業までの道~本店所在地探し⑧前回まで)オフィスを借りるための事業計画書を苦しみながら提出し、最後の関門、面接の日時を待つ ついに来たその日は退職した翌日のフリー1日目7月1日 いざ面接へ!

下北沢の某信用金庫前に立つ。ちょっと早めな14時20分。「これが借りたいシェアオフィスか~お願いします~」とそのビルを拝んだ後、駐車場を挟んだ信用金庫窓口に意気揚々と入り、「いらっしゃいませ、今日はどのようなご用件で?」と近づいてきた若い女性に「すみません、14時30分に事業支援課の○○さんとお約束なのですが、いらっしゃいますか?」と尋ねる。するとその女性の表情が「?」周りの雰囲気が「○○さん?事業支援?」「・・・あれ、なんか変な雰囲気」すると、少し先輩の女性が出てきて「恐れいります、今確認しますのでお待ちくださいませ」と、窓口カウンターの奥に消えていった。この期に及んで、私、日時間違えた?と不安になり待っていると、窓口奥のドアから先輩の女性が再登場「お待たせ致しました、事業支援課にご案内致しますね」と笑顔で先に歩いていく。付いていくと、なんと信用金庫の裏に、ちゃんと立派なビルある!そう、私は、本社ビルを訪ねるべきところ「金融機関、信用金庫→窓口カウンター」という単純な思い込みで、場違いな窓口に行っていたのだった。「なんでそんなことする?」と呆れていた母と同じ行動じゃん!😅「なんやかんや言って、血は争えない。。。」とめまいを覚えた。

エレベーターに乗り、小さめの打合せ室に通されると、遙か30年以上昔の就職活動していた頃の面接待ちのような気持ちで、緊張してくる。担当者の方がいらして、まずは名刺交換。。。いつもの用にカバンから名刺入れを出して気づいた(あ、もうこの名刺使えないんだ!私、今日から名刺無い!うわー🥵)長年サラリーマンやっていると、そんなことですら退職してから気づく有り様 今更ながらフリーという立場を自覚し、不安になる。そのいただいた名刺に「中小企業診断士」の記載。「書類拝見しました。。。」と言われ(あんな適当な3カ年計画の数字を、数字のプロの金融機関の「中小企業診断士」が見たのか。。。もうこりゃダメだ😨)と、動揺に拍車がかかる。先方は淡々と「これから面接と言いますか、ざっくばらんにお話していただいて」いやいやいや、ざっくばらんって。
これまで、よく言えば「気さく」「フランク」「気楽」「ご陽気」なしかも、この20年近く、土壌自体が明るい関西で仕事をしてきた私にとっては、今表情も変えずに「ざっくばらん」っていわれても。。。信じられない。しかし、そこは自分にいいように解釈して(おっ、これはもしや、もう内定してる、顔見せ興行的面接だったりして?)と淡い期待もしてみたり、と、気持ちのアップダウンが半端ない、である

しばらく一人で待たされて、ようやくご担当が「すみません、前が長引いてまして、もうしばらくお待ちください」と言われ、他にも候補がいることを知り、やはり面接なのかと、再度緊張が高まる。
そしてついに案内され、面接の部屋に入る。窓をバックに、3人の男性が座っている。おお~私の提出した資料をみんな手に取っている!20年ほど採用面接の面接官偉そうにやってきたが、すまん、学生諸君、逆の立場は本当に緊張する😢
ご担当んが端に座られ、さしずめ面接の人事部という役回りであろうか。まずは面接官を紹介してくれる。経営コンサルタント、信金の理幹部、部長さんというお歴々。「もうあんな勢いと勘とはったりと気合いの計画書をこんなプロたちが読んだのか」と血の気がまた引く。副部長さんはまた「ざっくばらんに」ということで「後はお願いします」となると経営コンサルタントさんが口火を切った。「会社をお辞めになって、何で経営したいのですか」おお~、起業の動機か。そのあたりは「熱意」のアピール場所だ!ここしかない、いけ😆と、エンタメ、そしてそれに携わる頑張っている人を支援したいこと、コロナ禍だからこそ、エンタメの重要性を認識したこと、キャリアコンサルタントの資格を活かして対人支援したいと思い、起業自体は会社の先輩の辛坊さんに勧められて考えるようになったこと等を話した。経営コンサルタントさんはニコニコと大きくうなずきながら聞いてくれるが、ちょうど私の真っ正面の幹部が、全く聞いていないような、憮然とした表情。絶望的な気持ちになる😫
経営コンサルタントさんが「私も辛坊さんの講演聴いたことあるんですけど、ヨットで死にかけた話など、お話上手でおもしろかったですね」と、地獄で仏、渡りに船、おじさんとの会話には辛坊さん!と、過去の辛坊さんとの仕事の時のエピソードを披露し、盛り上がるが。。。幹部、無表情😫もう諦めて、経営コンサルタントさんにひたすら笑顔で話すようにする。
その後の質問も、経営コンサルタントさんのみが聞いてくる。帰りの新幹線で手帳にメモしてあったを見ると
「キャリアコンサルタントは結構いて、ある意味飽和状態で、食べていけないという人が多いけれど、どうやってマネタイズするのか」
「コロナ禍でイベントは当分難しいと思うが、どうやっていくのか」
「色々業務書いているけれど、コンパスポイントさんならではの方策は」
などである
おお~『コンパスポイント、さん』と言われた!自分でつけたものの、こうやって社名を他人に言われるのは初めてだなあと、照れくさく、面映ゆく、内心ニヤニヤ😙してしまった

社名はともかく、いずれもシビアで、おっしゃる通り!と言うしかない質問が連続で来る。もうこのあたりになると、市場分析して、空白部分を探して自分の経験と人脈で開拓して、PRして、付加価値を考える、ということに尽きるので、微妙に表現を変えながら、熱意で話す。が、そればかりなので「これ、ちょっと受かるとは思えないなあ😣」と熱意もだんだん萎えつつあった
そして部長さんが「信用金庫ってご存じですか?」

(やべえ~。。。知らない😨)うーん、そこは想定外質問!知らないって言うしかない、知らないから。「はい、町の商店や企業をきめ細やかに支え、町自体を支援すると言うイメージしか。。。すみません、わかりません。こちらは、下北沢にあることと、母校の近くにあるので、その前を通って登校してました!」というあるだけのイメージとゆるい話に持って行ってしのぐ
部長さんは落語好きだとかで、私が手がけた落語イベントについて「ここにあるような人気のある落語家だったら、呼ぶだけで売れるのでは」という指摘をされたので、そこは、落語でない企画コーナーや、フリートークやゲストを入れたり、他ではない組み合わせの顔ぶれ、など差別化や工夫の部分を必死に答える。
そんなやりとり続き、ついに幹部が、口を開いた「信用金庫っていうのは細やかに町と人を支える存在なんですよ。もちろん八百屋さんとかの支援も大事なんだけど、下北沢というところは、地場産業は文化、それをずっと支える企業でありたいと思っている。イベントをできるスペースもこの本社の横に作った。そういった下北沢の文化を支えることで、永続的な活性化につなげたい。
ここには劇場さんやライブハウスがあって、演劇や音楽でやろうと目指してくる人たちが大勢いる。好きなことに一生懸命な人を支えたい。ただ見ていると、そういう人たちは『好きなことできたらお金はいらない』という人や事務手続きとか苦手な人が多く、結果、生活が続けられず挫折する人や、甘い汁を吸おうという悪意のようなプロダクションの人も見てきた。だから下北沢でスタートアップのオフィスを作るときには、そういう人たちを束ねてきちんとやってくれるような人が来てくれたらいいと思っていた。そうしたら、今回企画書が来て、ちゃんとした人でイベントの企画や、エンタメの人のマネジメントと書いてあって、まさに望んでいた人が来てくれたということなんですよ。もう面接とかいらないって、合格にしろって言ったんだよ」
うん?・・・・・
!!!!!!!!!!!!!!
うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
まさかの逆転満塁ホームラン。私「待たれてた」人なのか!😂😂😂

設立する会社の業務に「タレントマネジメント」も入れていて、なぜかというと、タレントの方で事務所に所属していない方が事務作業されているのが大変そうに見えたからだ。特にギャラのやりとりなどお金の交渉を本人とするのは、発注側も含めて気を遣うところで、代行したいなあと思うことがしばしばだったのだ。タレント、アーティストさんはそのパフォーマンスにエネルギーを使うべきで、事務作業にそのエネルギーをさくのは本末転倒だし、往々にしてそういったことが苦手だからパフォーマンスする側になっているのではないかなと。
またタレントさんはいい人でも、マネージャーさんが嫌な人だと、仕事減っていくのを見聞きしたり、メンタルのサポートや、パフォーマンスの良さをPRすることも含めて、自分の特性に向いている仕事に思え、タレント、アーティストなどを応援、支援できたらと思い、入れていたのだ
まさかここで、それもはまるとは!
その後も幹部の熱い「文化の町、下北沢の活性化」というビジョンに関するトークは続き、感動した私も「下北沢の発展のために頑張ります!✨」と区議会議員立候補ばりな決意を表明する。幹部「もう、合格でいいだろ。あの部屋はあいてるんだろ」と、私が内心(合格か。。。)とニヤニヤするような発言も出る。

ご担当が「あ、コワーキングでいいとおっしゃっていて「すみません、お家賃とのかねあいで…」と部屋でなくていい理由を恥ずかしながら伝えると「あ、そうですか」ご担当は「他の方の最終審査もありますので…改めて面接の結果は、来週週明けご連絡します」と締めくくられ、面接は終了した。

行きの緊張とは真逆な「ひゃっほーい!🤣」とこれはもう借りられるな、と確信を得て明るいというか、若干、いやかなり浮かれた気持ちで、下北沢から品川駅に向かった、こんなとき飲める人は「プハー」とかやるのかなあと思いながら、下戸の私はとりあえず高揚する気持ちを押さえきれず、崎陽軒のシウマイ弁当を買って新幹線に乗った。

(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?