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190721 病が生んだもの

たぶん調子に乗っていたのだと思う。
持病を悪化させた挙句、滅多に引かない夏風邪を拗らせ、今週殆ど自室から出られなかった。

まあでも体調の悪い時は悪い時で、振り返ればそんなに悪いものでもない。

高熱だと頭も心も意思の力じゃどうにもならなくなるから、そんな状態でも心に残るものや受け入れられるものは自分にとって価値があると勝手に思っている節がある。

ある種の秤の機会と思えば、ただの病気も俄然楽しくなってくる。

とはいえ、ピーク時はもうしんどくって色々と耐えられなかった。300m先のコンビニに冷えピタ買いに行くのすら絶望的。

具合悪い時、孤独を強く感じて余計しんどくなっている感ある。(2019年7月15日/Twitter)

確かに声を掛ければ届く距離に人はいるけれどあのときみたいに頼れる人達かと言われるとちょっと困ってしまう。こういう時のために人は平時から濃ゆい関係を築く努力をしたり結婚したりするのかもしれないとふらふら思っていた。

このツイートに友人がぽんぽんとくれたリプの内容についてこのところずっと考えていた。さっきの話に無理矢理結び付けるとこれはわたしにとって価値のある問いだったから。(リプ返してなくてごめんね)

要は、筆者が寂しさよりも孤独を感じやすい人間だと勝手に思っている、みたいな話だった。

「勝手に」とさらっと付け加えるあたり愛を感じる。いつもありがとう。

ところで寂しさと孤独は切り分けられるのか?地続きではないのか?調べてみた。

さびし-い【寂しい・淋しい】《形》活気を失い、満ち足りない。ア)親しい人が居ないなどで、心が満たされず物悲しい。イ)(ひっそりとして)心細く感じられるほどの状態だ。

こどく【孤独】〔名〕ひとりぼっちであること。

(出典:岩波国語辞典 第七版〔新版〕)

詰まるところ、感情か状態かということか。
確かに、寂しさには耐えられるが、孤独には、わたしは耐えられないかもしれない。

わたしは寂しがり屋を自認しているが、とは言え、よくわからない人と群れを成すくらいなら気の合う人達を頑張って探し出すまで一人でいるほうがマシと思っている。こうした傾向を人はラディカルと呼ぶが。

振り返れば好きな人から常に心配されていたのも彼自身が一番恐れていた(たぶん)のも孤独であった。寂しさはその先にあるもの。本当によかったとほろっと零されたのはひとりぼっちじゃないことについてだった。誰でもいいわけじゃない。だから、向き合おうとしてくれた数少ない他者を簡単に切り離そうとする蛮行を、叱ってくれたのだと思う。

思うに、寂しさと孤独は地続きだ。けれどどちらに先に目がいくか、で言うと、わたしはおそらく後者であろう。

ここまで来てようやく友人の話も彼のことも、前より少しわかった気がした。

「同じ生き物」が周りにいないという孤独。
しかもそれは体調を崩したとき弱っているとき改めて濃く強く感じてしまう。

切り離した自分にも非があるのはもうわかりすぎるほどわかったから、それでも時々どうしようもなくなるのはせめてもの証ということにしておきたい。

https://note.mu/hiromi_okb/m/m05e60c2489c0

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