色英一個展『豊穣の刻印』 / 作家インタビュー
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――はじめに出展作品のラインナップについてお伺いします。今回の開催にあたりどういったイメージで全体の作品を構成しましたか?
まず、ものを作らせていただく時に、「自分の身の回りにあったらどうだろう」というところからスタートするので、それが前提ですね。「身の回りにあって面白いものはなんだろう?」「そこからどんな面白いものができるだろう?」というところ。ですので、自分の生活からかけ離れたものは作品のラインナップには入ってないと思います。
言い換えるなら生活に寄り添ったものです。「自分の」という条件付きにはなってしまうんですけれども。
加えて、寄り添うだけではなく、生活を彩るものを求めて作っています。この視点で一連の作品を串でさせると思います。
――「彩り」を担うものとしてモチーフの話を伺います。どのようにモチーフを選定されていますか?
今回も金魚の絵柄も多いんですが、描いていて面白いもの、心地いいものを積極的に描いていきたい。金魚以外のモチーフもあるんですが、皿や盃に効果的に絵を描こうとした時に、金魚が実は最適なんですよ。
金魚をモチーフとすると、絵のサイズ感だとか、色艶の見せ方について漆との相性が抜群にいいんです。そういう機能的な面もありますし、自分自身の思いとしても金魚は特別な存在です。
何百年何千年と品種改良を繰り返してきて、人間を楽しませるためだけに生きてきた生物です。最初はフナの一種だったのに、多彩な色が出てきて、目玉が膨らんだり、お腹が大きくなったりしていく。それはあくまでも人を楽しませるために特化した彼らの生存競争というか。もちろん人間が勝手にやってるから強引なことですけど。
そういった世界が内包されているにも関わらず、小さな子どもを連れた家族が、夜店の屋台で「可愛いよね」って金魚掬いを楽しんでいる。そのギャップがすごく大きいんですよね。
歴史を紐解くとすごく重い内容かもしれない。それでいて現実世界ではポップで軽いカルチャーとして人を惹きつけるのは、稀有な存在ではないかと感じるんですね。
その関係性を作品の中に落とし込みたいんです。私は決してその歴史を否定も肯定もせずに。投げかけることもせずに。ただ人間の業をものすごく感じて強く興味沸いたので作品に落とし込んでます。
――金魚だけではなくてものづくりも同じくですね。木材を器に作り替えることにも同様のエゴイズムがあるように思います。
おっしゃる通り、樹木だって生き物ですからね。それを人間の都合で切り刻んでお皿にしていくのはある種深い業ですよ。
――技術的な面について伺います。先ほど仰った金魚と漆との相性についてお聞かせください。
学生時代にはよく油彩画を描いていましたんです。木工をやるようになってからはずっと離れていたんですけど。
油絵具ってあまりレイヤーを日本画ほど気にしなくて描ける素材じゃないですか。当然レイヤーで見せることもできるんですけど。その比較で言えば漆は日本画に近くて、レイヤーで見せていくんですね。層を作って、さらに次の層を重ねることで可視的な色になって、最終的に深みが増して、というところを見せるプロセスがすごく日本画的ですよね。そのアプローチで漆を扱うと、金魚はとても描きやすいんです。
もちろんレイヤーで見せずに描くこともできるんですけど、そうすると薄っぺらい表現になってしまうんですよ。
私の中でそこに命を感じるような描き方をするなら、レイヤーを見せる方が良いのかな、と思います。私が扱っているモチーフは生き物が多いんですが、レイヤーで描いた方がしっくりとした存在感が出ます。
――金魚以外のモチーフはどのような基準で選んでいますか?
まずは絵柄ばかりノートに描いているんですよ。まずは絵柄ありきでたくさんストックをしておいて、「この絵柄はこの作品に向いてるな」って感じた時に絵柄を引っ張ってくる。だからまだ出せていない絵柄もたくさんあるんです。それらは今の作品の形にフィットしないから出せていない。
――絵柄がまずあり、形に合わせて落とし込んでいく。お皿に描く絵柄と盃に描く場合では別物になってくるわけですね。
大きさも違うので絵柄のパターンだけでなく描き方も変わってくるんです。今回は大きなお皿にも金魚を描いてますが、盃とは鱗の大きさからして変わってくる。盃の方が実寸に近いわけで、大きくなれば表現としての微調整も必要ですね。同じように描いているようでいて全然違ってきます。
――なるほど。茶椀の形とコウモリの組み合わせが面白いと思いました。手の中で回すと蝙蝠がふわっと浮かび上がってアニメーション的に見えます。
そもそも宵闇の中で群れをなして バタバタ飛んでる蝙蝠のイメージからスタートしたんですけど。宵でまだ少し明るいので、蝙蝠たちが集積している場所の方が空間として闇になっているイメージを描きたかったんです。
尺二のお皿の方にも同じコンセプトで蝙蝠を描いています。
――蝙蝠が闇の側なんですね。
と、いう解釈もできますよね笑
――使うイメージについてお伺いします。まずは「馬上杯」と「蕾」シリーズについて。
自分で結構料理もするんですけど、馬上杯は酒盗を盛り付ける時の器としてすごく便利なんですよ。お酒を飲むより酒盗が映えるようにと思って作ってます。高台のついた馬上杯に酒盗を盛り付けて、平盃でお酒をやるっていうセットだと面白いですよね。私の使い勝手のイメージは実はそっちなんですよ。
蕾の方は焼酎を飲む時の器として作っています。焼酎が好きで飲むんですけど、ストレートで飲むには蕾の形が良いんです。平盃だと香りがぐっと強く入って来すぎるんですね。もちろんお茶でも日本酒でもなんでも使っていただきたいんですけど。
――平盃はそもそもは日本酒イメージですか?
最初はそれが軸ですね。中にはお茶を楽しんだりっていう方もいらっしゃいますけど。まずは日本酒に最適です。
――続いてお茶の話も伺います。今回の盃だとお茶はどんなイメージで合わせたら良いでしょうか?
まず漆の器って香りの音程が高いものとは相性が良くないんですよ。逆に重低音の効いた香りとはすごく相性が良いんです。
日本酒は結構低音寄りですけど、その中でも特に低いものがよく合いますね。お茶に対してもそれが言えます。例えば白茶だとか緑茶は比較的高音が強い。相性が悪いわけではないんですけど。抜群に相性が良いのは烏龍茶とかプーアル茶とかですね。そういったお茶のセレクトをしていただけると美味しく飲めるのかな、と。高音低音という言い方をしてしまうと分かりづらいかもしれませんが。
――イメージはつきますね。香りの重心。おっしゃる通り重みのある香りのものは合いそうですね。
たまに華やかな香りのものだと、漆の独特の風味が邪魔する時があるんですよ。その辺はガラスと対局にあるように思います。ガラスは邪魔しないものの代表選手ですよね。
ただしガラスの場合、口当たりの硬さとか熱いものだと口をつけにくいとかいうこともあるかもしれません。私の盃は熱いものを熱いまま呑めたりとか、口当たりの柔らかさがあったり。磁器やガラスとは対極にあるような存在です。
――形によって合わせるお茶を変えたりしても楽しそうですね。
同じお茶で器を変えたり、同じ器で違うお茶、いろんな組み合わせができますよね。もちろん形で味は変わるし、急須や茶風などお茶を淹れる道具の形でも全然変わってきます。絶対的な良し悪しを追求するというよりは、それぞれの個性を楽しみながらできると良いですよね。こんな味が出るんだ、こんな楽しみ方ができるんだ、というような器との出会いがあると良いかな、と思います。
――お茶道具に関してはお使いになりながら制作されています。これは是非というアイテムはありますか?
どうですかね。『塩盛り皿』なんかはお茶の小道具にとても適してるのでぜひ連れて行って欲しいですね。もちろん普通にお料理に使っていただいてもいいんですけど。例えば茶通しを置く枕にしていただくと場が引き締まります。あまり題名に引っ張られずに、頭を柔らかくして、この形ならこんな感じで使えるんじゃないかという、見立てもしていただけると嬉しいですね。
――他の作品もカテゴリに捉われずいろんな使い方ができますよね。
お皿なんかでも、煎茶や中国茶を出す時の茶盤として使っていただいたらお茶の席が華やかになるでしょうし。今回はそういうアイテムをたくさん出品しています。絵皿として使ったり飾るだけじゃなくてお茶の席で茶盤として彩る、という風に見ていただくと面白い使い方ができるんじゃないかと思います。
――いろんな組み合わせで楽しめるラインナップですので、どんな設えにできるのか展示会場を作り込むのも楽しみです。
――今回60cmサイズの大皿も出展されており目を惹きます。木材の選定についてお伺いします。
一番大きなお皿は栗です。他、茶盤には山桜なども使ってますね。作品と木材の相性もあります。拭き漆で仕上げる場合、例えば女性らしい木目を見せるためにDMの作品では山桜を使ってます。あれが栗になると全然違うんですね。繊細さを出す時には山桜。着彩して木目が消えてしまえば、見た目にはあまり変わりはせず、手取りの重量と使う印象に繋がってきますね。特に木目を見せる時には選定に気をつけています。
――今回初出展の油彩画についてお伺いします。
先ほども少しお話しましたが、昔油彩画を描いていて、その頃はレイヤーを意識した描き方ではなかったんですね。
今回は油絵具を使って、漆で塗る時のやり方で描いてみたんです。昔の描き方を全部捨てて、描き方、筆の扱い方、使う筆そのものも漆筆に変えて描く。そういうチャレンジでした。アプローチの仕方が全然違います。
――漆の描き方で油絵を描く。感触としてはいかがでしたか?
面白かったですよ。漆の描き方って豪快なことができないんですよね。油彩画ってある程度豪快に見せていく部分も必要だったりしますけど。漆で終始繊細に、抑制の効いた描き方をするように、同じことを油絵具でやるというのは最初から最後まで刺激的でした。完成形が見えていてそこに向かってどう工程を組み上げるかは日本画と漆の共通点ですよね。今回はそういった描き方をしてみました。
――描き方を器と見比べながらお楽しみいただきたいですね。
ところで作品を全部開けてみてどうでしたか?
――お皿が特に印象的でした。盃だと小さい絵柄に視点がフォーカスされて惹き込まれる作品が中心でしたが、お皿だと絵柄が前に出てきます。並べた時にその視覚効果のコントラストが面白いな、と思いました。DM裏面の写真では青い盤に水を張って盃を浮かべましたが、水で浮かび上がる絵柄の感じが、大小それぞれに違っていました。
お皿って、まさに何かを盛り付けたり載せたりすることで違う景色が見えてくると思うんですよ。使うことで「こんな風になるの?」と。そこで完成形だと思うんですね。
会場で使ってみるイメージをしていただくのも楽しいでしょうし、お買い上げいただいたらぜひ盛り付けて使っていただくと、想像以上のことが起こるはずです。
私のInstagramで『中将』と『増女』にケーキを盛り付けてアップしたんですけど。あれは盛り付けてて最高でしたね。自画自賛ですけど、華やかなケーキとのギャップが、これはいいなと。
――ぜひインスタの方もチェックしていただくと使うイメージも湧きやすそうですね。平盃も液体が入ってこそ。そこで絵が浮かび上がりますし。
私はあまりアートっていう言葉を使わないんですけど。今時の言葉で言うならば体感型アートかな、と思います。使ってみて、体感してみて。お酒やお茶を注いだり、ケーキやお刺身を盛り付けたりする体験ができるアート。手に取って使っていただいた時に完成する作品ですね。そんな風に自由なイメージを持ちながら作品をお楽しみいただければと思います。