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みんな同じじゃつまらない😜

周りと同じであること
目立たないこと
周りの意見に合わせること

そうやって生きることが正しいと無意識に教え込まれていたような気がする
直接そう言われたわけではない
どこかに書いてあったわけでもない
そんな法律があるわけでもない

それなのに気づいたら
周りと同じでいることが正しい
浮いてはいけない
目立ってはいけない
無難にその場をやり過ごすのがベスト
多数派の意見と違う意見はおかしい
周りの考えに違和感を感じる私はどこかが変

そんな考え方になっていた
いつからかも分からない
不思議なことに気がついたらそうなっていた

そう考えることが通常の状態になってからは
そう考えることが当たり前すぎて自分がその考えを持っているということにすら気がつかないまま

自分の中にこの考え方、思い込みが存在すると気づいてから、
これまでの人生を振り返り、何でこの考えになっていたんだろう?と考えてみた。

「場の空気を感じたこと」
空気って不思議なもので目には見えないけれど確かに存在する。
人によってそれを感じる感じないはある。
それを感じる強さも人それぞれ。

場の空気だけでなく
話していなくてもその人がどう感じているか。
話していたとしても本当はこう思っていないだろうな、これは本心からの言葉じゃないな、ということも何となく分かる。

あ、今この発言で空気が凍ったな
あ、今この発言で流れが止まったな
あ、今この人の登場で雰囲気が変わったな
あ、今とても険悪な雰囲気だな

とか。
目には見えないけれど確かにそう感じる。
その経験が積み重なっていくうちに、
自然とこの空気を乱さないように動いている自分がいた。

今思えば、
その空気を感じたからといって
それを乱さないように動く必要は全くなかったのに。

ただ、その空気を感じた。
その事実があるだけ。
その空気に合わせて自分の行動を変える必要は全くない。

その場の空気が何だったとしても、私の考えは私の考え。
みんなはこう感じるかもしれないけれど、私はこう感じる。
ただそれだけ。
それを伝えるだけでよかったのだ。

「噂話を耳にしたこと」
その場で話しているときは楽しそうにしている。
でもその場から離れ、その人がいない所では
「あの時あの人あんなこと言ってたけど、おかしいよね。」
「なんであんなことができるんだろうね、信じられない。」
とか、直接話している時とは真逆のことを言っている。

その場では和やかに話しているのに
その場を離れた途端、当事者がいないところでその人の陰口大会が始まるようだ。
これには全く理解ができない。
本当はおかしいと思っているならその場で直接本人に言えばいいのに。
私の頭の中はパニックだった。

「え、さっきはあの人の意見に同意してたよね?
なのに何で今はそれと真逆の否定的な意見を持っているの?
それならその場でそう思わないと伝えればいいのに。
その人は同意した意見を信じて生きているよ。」

ということは、私と話している時もそうなのか?
私と話終わった後、別の場所で陰口大会が開かれているのか?
そう考えると本当のことを話すのが怖かった。

今思うと、
誰がどう思うかなんてどうでもいい。
大切なのは自分が自分をどう思うかだから。

たとえ100人いて100人に嫌われようと否定されようと、
自分が感じていることがすべて。
他人に好かれて自分に嫌われるなんて本末転倒。

だってこれは私の人生だから。
自分に信頼される自分であること。
自分に正直に生きること。
自分に嘘をつかないこと。

たとえ周りの人達が、表と裏で真逆のことを言う人だったとしても
私までその人達に合わせる必要は全くない。
私は私。
周りの人達はそういう生き方をしていることが大半だとしても
私は正直に生きることを選択する。

どう生きるか、どんな自分でいるかはそれぞれが選択すること。
「あなたはその生き方を選ぶんですね、私はこの生き方を選びます。」
ただそれだけ。
本当にシンプルだった。

みんな同じじゃつまらないでしょ。
色んな生き方があるからこそ面白い。

それぞれがそれぞれの生き方を尊重して
それぞれがそれぞれの自然な姿で
笑って生きられる世界をつくっていこう😊


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