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最も思い出の残るキャンプ

私が小学校に上がった年から、家族での夏休みキャンプが始まった。「家族でキャンプ」は父の夢だったようだ。テントやタープ、チェアー、ランタン、寝袋などなど。父がキャンプ用品を買い出しに行くのに、子どもの私は何度つき合わされたことか。

キャンプは父のエゴに引っ張りまわされていたと言い換えてもいい。それでも毎年私が楽しみにしていたのは、どの土地にもそこにしかない体験があったからだ。夏休みの宿題の絵日記には、キャンプのことを必ず書いていた。

父、母、私、弟、妹の5人家族全員で行った最後のキャンプは私が小学6年生のとき。福岡~大分6泊7日。いつもは泊まる場所が区画で割り振られていたり、トイレ・シャワー設備があったりと、キャンパーでにぎわうキャンプ場に泊まっていた。今回もそういう場所だと思っていた私は、到着した景色に驚いた。

何の変哲もない、ザ・河川敷。区画なし、仮設トイレ1つ、シャワーなし、水道蛇口1つ、他のキャンパーゼロ。無人。自然にたたずむ私たち家族。

「父さん、ここ、ほんまにキャンプ場なん?」

「誰もおらんじゃん…」

「ここで寝るの、大丈夫かねぇ」

家族に何度も確認されるキャンプ責任者の父。ここなのは間違いないとは言いつつ、語尾がちょっと自信なさげ。当時はスマホなんて便利なものは存在していないWindowsは95の時代だ。Googleマップで現在地を確認することなんてできない。

ここが本当にキャンプ場かどうかを確かめるすべもなく、とりあえずはテントを設置し、ご飯を作ってみんなで食べた。問題はお風呂。別に1、2日入らなくてもいいっちゃいいかもしれない。しかし、季節は夏。汗だくなのだ。小学生の子ども3人の新陳代謝の良いことよ。そして、川なので砂まみれである。風呂があったら是非とも入りたい。

キャンプ場とうたっているからには、近くに銭湯があるのではないか? 一縷の望みをかけて、私たち家族は2班に分かれて、はじめて来た町で銭湯を探し回った。徒歩で。すでに辺りは暗くなっていて、なんとも心細い。

そして、それは、あった。ちゃんと、しっかり、イッツ・ア・銭湯。家族全員よろこんで銭湯を満喫した。お風呂上りはもちろん冷たい瓶の牛乳。私はフルーツ牛乳にした。うまかった。

翌日。午後に出発するまで、河川敷をぶらぶら楽しむ。すると、一組の家族が私たちのテントの隣にやって来た。そして、テントを張り始める。私たち以外のキャンパーだ! こんなところと言っては失礼だけど、河川敷にしか見えないココは確かにキャンプ場だと、やっと信じることができた。

私たちきょうだいがテント内で遊んでいると、入り口を覗くふたつの顔。小学生の男の子2人。顔がそっくりだから、兄弟だ。こんがりと焼けた肌から、普段から外でよく遊んでいるのが想像できた。

各地のキャンプ場では、区画の隣どうしで挨拶くらいは交わしたが、たまたま隣になった知らない家族同士が行き来するというのはなかった。しかし、今回は違った。おとなりさんが遊びに来た。ただでさえ私は人見知りなのに、初対面でいきなり距離感を詰めてくる、どこの誰か知らない子たちに、「なんだ!?」と最初は驚いた。

しかし、私の警戒心はすぐに解けた。この兄弟は明るい爽やかイケメンボーイたちだったのだ。ずっと前から俺たち友だちだったよなという雰囲気。それが完全にナチュラルに出ている。今なら陽キャという便利な言葉があるが、つまり、そういうことだった。陰キャの私にはその振る舞いが眩し過ぎた。1人でも「すごいな」と思うのに、2人だし。

私たちは1時間ほど一緒にわいわい遊んだ。今思えば、あの打ち解けっぷりは小学生だからできた技で、魔法の言葉「一緒に遊ぼう」がよく効いたからなのかもしれないけど、別れが惜しいくらい人との出会いとしては鮮やかな出来事で、バイバイ!と手を振ってくれた兄弟の小さくなっていく姿は今も記憶に残っている。

その年の絵日記にはその河川敷、いや、キャンプ場での出来事をもちろん書いた。予想外の困難も、なんとかしようと人と協力すれば意外となんとかなり、それが楽しい思い出になることもあるということ。そして、友だちになるには時間はあまり関係ないということを。自分の価値観がアップデートされた、とても濃い2日間だったなと、大人になった今でも夏になれば思い出す。あのイケメン兄弟は、今はどこで何をしているんだろう。


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