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「書かずに生きられない」ことはさほど美しいことではない

先日見かけたこのtweet、及びリプ、引用RT。

何かが引っかかるな、なんだろう?と考えた結果、思い至ったところをタイトルに、少し書いてみようと思う。

書かずに生きられないことは、さほど美しいことではない

…というタイトルをつけたのは、
「美しい」としている方が多いのかな、と感じたから。

それって昨今よく見かける
「やりたいことがないんです。どうすれば良いですか?」
という質問に繋がるんじゃないかな。

その質問に答えるなら
「やりたいことがある人はそれで良いし、
ないならないで特に問題はない」
はず。

でも、最近の世の中は
「やりたいことを仕事に」や、
「やりたいことをして生きていく」ことを
良しとする風潮がある。

だから、10億手にして働かなくてもよくなっても、
小説を書き続けるツイ主さんが素晴らしくて、 
「理解できないって顔を」した、新人賞作家さんが間違っているかのようなリプも見受けられる。

本当にそうかな?

色んな観点から逆張りすることもできるけど、
話が広がり過ぎる恐れがあるので
「書くことで生きられる」というような気持ちについて、考えてみたい。

「書くことで生きられる」ということは、逆に言えば
「何らかの事情で書けなくなったら、生きていけない」
ということ。

こんなことを感じたり考えたりする毎日、
だとしたら、常に緊張感がつきまとうのでは?

また、思い出したのが、作詞家、シンガーソングライターでもあり、作家でもある、小室みつ子さんと、
TM NETWORK宇都宮隆さんの対談でのやり取り。
(随分前に読んだので、うろ覚えだけど)

みっこさん「作品に書いてることが作家の実体験だと思ってる人がいるけど、違うんだから。自分のことを書いてたら、キリがないんだから!」
ウツ「違うよ、みっこちゃん。“キリがある”んだよ」

そう。
作家が自分のことだけ書いてたら、“キリがある”はず。

1人の人間が経験できること、感じたり思ったりすることには、限界があるのだから。

それでも書き続けるためには、経験を積むことだけでなく、相当自分を深掘りする必要がある。

そうすると、
綺麗な部分だけでできている人間なんていなくて、
目を背けたい自分と、がっちり向き合わなくてはいけなくて。

これはなかなか…精神的に来る作業だ。

更に、書きたいこと、書けることがあっても、思いどおりの表現ができない、というときの焦りも、
「生きていけない」不安と直結する分、
常人には想像できない苦しみだろうと思う。

さて、それでもあなたは
「書かずには生きられない」
もしくは他の何かでも、
命を懸けてでも、やりたいことを追い求めて生きていきますか?

私もどちらかいうと「書かずには“いられない”」けど、
そんな辛い思いはしたくないし、
字数の制約や締め切りもなく、だらだら書いてもOKな、ブログやnoteを書いていたい。

私のようなタイプの人が、
「好きなことで食べて行かなきゃ!」と
無理にプロを目指しても、恐らくよい結果は出ずに、
とてつもない不安や苦しみを抱えるだけのような気がする。

また、相手がそういう風に苦しむタイプかもしれないのに、
無闇に、無責任に、
「やりたいことやって生きていこうよ!」などと発破をかける(?)のは、私は嫌だ。

美しく見えるもの、
素敵に見えるもの、
その水面下での足掻きさえ受け入れる覚悟も無しに、
「やりたいこと」だ、「天職」だ、なんて、軽々しく言うのは、好きじゃないな、
というのが、一連のtweet、リプなどを読んだ、私の感想だった。

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