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哲学: 観察と推論

ヒトは未来予測することが好きな生き物だ。それは推論という機能が備わっているからだ。
これは誰から教えられることもなく機能して観察から法則性を見出そうとするものだ。

「ここで魚が釣れた」「昨日も釣れた」「その前も釣れた」「明日も釣れるに違いない」というふうに誰もが思うものだ。こういった推論は、帰納的推論、枚挙的帰納法と呼ばれる。
さらに、「俺はずっと釣れ続けている、だから天才だ」というのは論理の飛躍という。

私たちは事あるごとに推論を繰り返している。その観察の方法に間違いがあると、結論はいつも間違ってばかりとなる。これはメンタルの不調につながるものだ。

誰もが思うことであるが、ここ最近の感染の流行の対策に対する疑問や疑念は、「○○になるはずだったのに」がそうならないからだ。帰納的推論の働きによって起こる印象がそうさせるのだ。

また、「○○したらこうなる」という専門家の提言は演繹的推論から発出される。
前提が正しければ結論は絶対に正しいという推論だ。

だが、結論が正しいようには見えない。前提が間違っていないかを検討しなければならない状況だ。

ボーっとしていてはいけない。今、私たちはそれを見ているのだ。