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困難を克服するには努力しかない

「努力」こんな使い古されたテーマをいまだに引きずっている。
生きていく上で努力は誰でもしている。しかし、ぼくの興味がある努力は、困難を克服する努力だ。

人間の性質は限界を押し広げようとするといったカーツワイルやR.ドーキンスの決定論を忘れさせてしまう脳の可塑性の働きを根拠に、努力について考え、実践することだ。

暴力で解決することが出来ない現代において、解決は心の中で行わなければならない。
気に入らないからといって叩き潰してしまうという決断は、初めから除外しておかなくてはならないのだ。

かといって、我慢することではない。それは努力ではあるけれど諦めでもある。努力の放棄だ。

できることは、心でのり超えるしかないのだ。それには相当の努力がいる。この努力は思考の努力だ。

日々に沸き起こる心の問題は、思考によってのり超えなくてはならない。
ご存知のように、不平不満や愚痴くらいなら努力は必要ない。

自分の信念や世界観への挑戦は、思考の努力によって闘わなくてはならない。暴力とは違うのだ。敗者のいない勝者になるといい換えることができると思う。一度勝利してしまえば、二度と闘うことはない。次の闘いはあるがそれまでは自由なのだ。

その闘いに苦しみはない。むしろ喜びといってもいい。それは人間性の性質や法則に従っているからだろう。努力は人間の当たり前の特性を働かせているといってもいい。だからこそ苦しみがないのだ。