顧客満足という茶番劇

「あなたの笑顔が見たくて!」というフレーズをよく耳にするが、労働者が本気でそんなことを考えているはずはない。召使ではないのだ。
自分のお勧めしたい商品を客に理解してもらうための努力は許容できるが、ご機嫌伺いや太鼓持ちなどだれができるだろうか。
そもそも客が望むのはそういったことではない。
客の要望を第一に考えるなら「お客様の笑顔が見たくて」とはならない。「あなたに寄り添って」「おもてなし」などと抽象的な表現で接客のイメージ作りをするが一体誰が喜ぶのだろうか。そんなことを考えさせられた。

顧客満足についていろんなことが言われるが、一見相手の話となると、おもてなしや至れり尽くせりで対処できるが、固定客や長年付き合う客となると、そんな小手先の技ではかえって嫌われる。
私たちが見聞きする話は大企業のイメージ広告やマーケティングの話がほとんどだ。
相手を不快にさせないように最大限のサービスをしようとする接客に心はない。
機械のように話し、機械のように笑い、機械のように相槌まで打つ。確かに不快でもないが嬉しくもなく、付き合いたいとも思わない。本心でないことは誰にもわかる。これが顧客満足だと思っている経営者、いや広告会社は多いが、その人は現場にはいない。
個人経営は機械人間よりも人間が大切だ。感情がいるのだ。
通ってもいいと思う飲み屋は感情のある接客をしてくれるところではないだろうか。長く付き合っていける店は機械的な人間の接客を望まない。
気楽でいいという人もいるかもしれないが、長く付き合えるわけではないだろう。一見ならという条件が付くはずだ。
私は最近大衆居酒屋に通っているので顧客満足は人間的な会話が必要であって、おもてなしやうやうやしい特別な扱い方をして欲しいのではない。茶番劇など見たくもない。普通にしてくれていれば満足なのだ。それだけで行くなら「あそこ」となるのである。
それと大切なのは健康的であるということだ。心身が病んでいる人に接客されると、次はないなと思わさられる。
健康的で明るく朗らかに対応してくれればそれだけで満足だ。当然ながら自分自身の接客も同じことがいえる。

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