哲学:哲学はそんなに難しくない
哲学は難しいという印象だ。ぼくもそう思っている。哲学の研究者が難しい話にばかりを紹介するのでそうなるのだと思う。
何をいってるのかわからない話や重箱の隅をつつくような話だとか、矛盾探し、あそこが違う、ここが違うといった話も哲学を遠避ける要因だ。
その点、ぼくの哲学は簡単だ。ツッコミ所はたくさんあり、矛盾もたくさんある。
「何だこの程度か」と思われやすいのだ。そうだからといってどうだというのだ。わけのわからない話よりはマシだ。
人間一人が観る世界は限られている。全てがわかっているのなら考える必要も努力も必要ない。
ぼくは難しいことの探究ではなく、健常とは何だろうかという視点がある。それはいたって「普通」のことだ。
釣りに例えれば、「何を釣るか」「どう魚を釣るか」「どこで釣るか」「どうやれば釣れるか」「どうやればもっと釣れるか」「安定して釣るにはどうするか」といったような「生きること」についての知恵を得たいのだ。
生きやすくすることに思考を使うことは健常なことだと思う。
ややこしいことを考える前に、普通に考えるとどうなるかが哲学には大切だ。
記憶することに慣れ過ぎることで考えることを失っている。間違えることや失敗することを恐れてしまっているようだ。
人間の推論はいつも間違ってばかりいる。それを哲学的思考によって蓋然性を高めればいいのだ。
「ふんっ、そんな哲学は…」と鼻で笑う人もいるだろう。
しかし、その人があなたを助けてくれることはないと断言できる。哲学のことがわかっていないからだ。
知識ではなく思考することが哲学だ。間違いなんて恥ずかしくも何ともない。修正することが簡単だからだ。
人の知識をパクって知ったかぶりをしている方が恥ずかしいのだ。実践していればそのことが嫌になるほどわかる。
その度に修正して自分を更新すれば「これだ!」というものに出会えるはずだ。
それまで思考を止めてはならない。ぼくは哲学からそう学んだ。