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哲学: 難しい話からは逃げるべし!

ぼくは難しい話がとても嫌いだ。逃げるにこしたことはない。

たとえば「私って何歳に見えますぅ?」という質問に対する答えは難しい。正解しないといけないかのような圧力を感じる。情報はない。考える材料がないのだ。

「なんでこんなに寒いんだろう」と言われても、(きっと寒気が入りこんで…)と思うが口にしてはいけない。その答えを期待しているのではないことくらいはぼくにもわかる。

「私って、すぐ考えこむタイプの人じゃないですかぁ」(そうだったのですか、存じ上げていませんでした)みんな難しい話をしたがる。ぼくは困るのだ。

居酒屋に行くと「オレから言わせるとなぁ!」と威勢がいいが、その世界観はよく見えない。
「オレ」の話には興味がないのに、あるかのように話し始める。聞くに耐えない。

「その話は違うと思うよ」と言うと「みんな言うてる!」と怒り出す人もいる。
みんなの意見の代表者だと知らなかったものだから気分を害させてしまうこともある。

一所懸命話をするからこちらも真剣に「ふむふむ」と頷きながら話を聞いていると、最後に「知らんけど」を付け加えられる。時間を返して欲しい。

「私ぃ頑張っている姿を見ているのが好きです〜」こうなると、ぼくにはどう解釈していいのかわからない。

多くの人はそんな難しい話が好きなようた。日々そんなやり取りは当然のように生きている。逃げるしかない。

ぼくはそういったことが嫌いなので「前提」を示して、それに対する意見となるようにしたいのだ。
「なるほどそうか」
「いやいやそれは違うだろ」
「こういった意見もあるぞ」
「そこはこう考えればいいんじゃないか」

印象なら印象でも構わない。
みんなの意見なら会話の前に示してくれれば簡単な話になるはずだ。
と、そんな会話が健常なんじゃないかと思っている。

それなのに「オマエの話は難しい」と言われる。
もしかすると、最後に「知らんけど」or「みんな言うてる」を付け加えないからじゃないかと思ったりもする。