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街から本屋が消えていく

noteで国際出版研究チームさんの「フランス政府vsアマゾン?!書籍配送有料化についての攻防」についての記事を読んだ。

記事によると、新法では、アマゾンが配送料を自由に設定できなくなるようだ。フランス政府が設定する配送手数料は、3ユーロ(約3.40ドル、約390円)から5ユーロ(約5.65ドル、約650円)となるようで、それは顧客が負担することになるらしい。
ぼくはとても良いことだと思っている。

街の本屋さんはおそろしく数を減らしている。先日も駅近くの本屋さんが消え、そこには整骨院が入った。

本の選び方が工夫されていて「この店の人わかっているな」と思っていたお気に入りの本屋さんだったのだが消えてしまった。
駅周辺には本屋さんが一件もないところも多い。

どこにでもあって当たり前だと思っていた本屋がない、というのは良いことなのだろうか。
ふらりと立ち寄って、気になった本を手に取り、これまで関心のなかったことへの関心が生まれることもある。

たまたま手に取った本によって人生が変わることもある。
アマゾンが悪いとは言わない。洋書などは簡単に手に入るし、検索するといろんな本に出会える。

だからといって、本屋さんは必要ないとはならないのだ。

ぼくは常々、アマゾンでの本の購入には配送料を顧客が払うべきだと思っている。

買う側は安い方がいいのにきまっているが、そのせいで本屋さんが消えるというのであれば、配送料くらいは払う。

「得だから」といった理由で本屋さんが全てなくなったとき、アマゾンが「これからは本の値段も配送料も独自で決定します」となったらどうなるだろう。

アマゾンは資本主義の権化でもある。儲けるために必要なことは何でもやると考えてもおかしくはない。正当でもある。

競争は公平にするべきだ。
街の酒屋さんをつぶしてしまった大手への「販売促進料」という実質の値引きは、街の酒屋さんが消えてから禁止された。

ぼくがここでゴチャゴチャ言っても何も変わらないことはわかっている。しかし、こういった必要性が理解され時が必ず来る。

たとえば「中国の物は安い!」といって殺到した結果はどうなっただろうか。
ぼくは「中国にお金を払っていたらミサイルの数が増えるだけだ」と言っていたが、中国の脅威が増すまで誰も何も言わなかった。元に戻すことはできない。

誰でも安く買いたいし得もしたい。それを否定することなど出来ないが、それによって失うものもあるのではないかと言いたいのだ。

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