健康が正しさの物差しになる?
自分が間違っていることは、どうやって知るのだろう。自分が正しいと思うのはご勝手にどうぞといえるが、間違っていることに気づくのはいつだろう。
算数の間違いではなく、生きていく考え方の間違いに気づくことは、算数の間違いに気づくよりも重要なこともある。
子供時代の間違いは、親など周囲が教えてくれることが多い。(それも間違っていることが多い)
生きていくうえでは、うまく自分の考え方や方法が通用していれば、間違っていないという信念が生まれることは、これまで何度も述べてきたので理解できると思う。
ただ、そう簡単にうまくいくことばかりではないことも何度も経験しているはずだ。
その経験は、うまくいっていないことで教えられる。「諦めなければ必ず…」といった根性論で語られることも多いが、間違いには早く気づく方がいい。
ぼくは、毎日、健康面について考えさせられているのでわかるのだが、間違っていることは「不健康」によって教えられる。
食べものなら内臓の不調、運動なら痛み、思考なら心の苦悩となって表れるものだ。これを無視して持続していると病的な状況に陥る。
「不健康」は間違いを教えてくれる、というのは正しいのかもしれない。
いくら前向きな心が大切だといっても、無理はいけない。その後にくる抑うつ状態が教えてくれる。
仕事も張り切り過ぎると、燃え尽きが起きたり、周囲との軋轢でサヨナラすることにもなる。
鍛えればいいと思い込んで、やり過ぎると故障によって何もできなくなる。
間違いには早く気づくことだ。それを防ぐには先人の知恵を利用することだ。ほどほどだ。ほどほどが良いというのは真実である。
無理をしてでも新しいことを切り開くというのは、また別の分野の話である。
新しいことを切り開くにしても、不健康な状態になれば成功しない。生き残れないからだ。それを教えてくれるのは、「健康」だということではないかと思っている。