ナツノキセキ#9

7年前、学校が夏休みに入った頃僕はこの島を訪れた。

フェリーから降りるとそこには海の香りのする懐かしい感じだった。

僕の手を引く祖父につれられて喫茶店へ入る。

―カランカラン

「いらっしゃいませ」

とマスターの声が聞こえた。

「おや、今日は小さなお客様もご一緒ですね」

「そうなんだ、毎年夏休みになると孫を預かっとるんだがマスターは初めてだったか」

祖父がそう答えると

「そうですね。この喫茶店を始めてはじめての小さなお客様ですね」

マスターは嬉しそうにそう答えた。

もともとマスターは島の人間ではない。本土でも喫茶店を経営していたようだが

奥様との離婚をきっかけに田舎暮らしを始めるためこの島に移住してきた移住民だった。

この島はじめての喫茶店が生まれてまだ半年といったところ。

「これはいい遊び相手になってくれそうですね」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

大人2人が僕をみて微笑んでいるのが子供心にちょっと怖かった。

「優花、こっちにきなさい」

「はーいパパなにー」

マスターがそう声をかけると奥から可愛らしい女の子が現れた。

これが僕と優花の最初の出会いだった。

「ねぇねぇ君のお名前は?何歳?」

と優花は僕に問いかけると

 「冬弥・・・小学5年生」

と呟くように答えた。

「冬弥くんっていうんだ。私はね小学6年生だから冬弥より一つ上だからお姉さんなんだよー」

と陽気な少女は自慢げに僕に話した。

「ねぇねぇ冬弥くんお外に遊びにいこうよー」

「う、うん・・・」

優花は僕の手を引きながら夏の喧騒の中へ飛び出していった。

それからは終始優花のペースに振り回された。

川遊びではひたすら水をかけられたし2人で鬼ごっごをしても全然追いつけない。僕はずっと鬼だった。

そんなことをしていると夕暮れが近づきマスターと祖父が迎えに来た。

「優花、そろそろ帰りますよ」

「冬弥、わしらも家に帰ろう」

「はーい」

お互い返事をすると別れがけに優花が僕に声をかけてきた。

「冬弥くん。また明日も遊んでくれる?」

「うん、いいよ」

「やったーじゃあまた明日ね。バイバーイ」

そう言い終えるとお互いの家へと帰っていった。

家に帰ると祖父が夕食をたべながら話しかけてきた。

 「どうだ?優花ちゃんと仲良くできそうか?」

と問いかけてきた。

僕は「うん、多分」と答えた。

すると祖父は改まってこう切り出した。

「この島には子供がほとんどいないんじゃ。それで優花ちゃんも遊び相手がいなくて寂しい日々を過ごしている。

 だからこの島にいる間はできるだけ仲良くしてあげてくれんかの?それとも優花ちゃんはべっぴんさんだしの恥ずかしいのか?」

「いやそんな風には思ってないから!大丈夫だよ仲良くできるよ」

僕は正直恥ずかしかったけど強がってそう答えた。

次の日も祖父に連れられて僕は喫茶店へと向かった。

「冬弥くーん、今日は何して遊ぼうか?」

優花が嬉しそうに駆け寄ってきた。

僕は何をしていいか分からず黙っていると祖父が助け船を出してくれた。

「それじゃあみんなで魚釣りでもいくかの?」

「魚釣りはしたこととない!わたしやってみたい!」

と優花は目を輝かせながらこう言った。

僕も釣りは好きだった。毎年島を訪れる度に祖父が釣りに連れて行ってくれていたので勝手も知っている。

「僕も釣りがしたい!」

僕もそう答えた。

「それじゃあ準備してくるから、冬弥はここで待っていなさい」

祖父はそう言うと釣りの道具を取りに一度家へと戻っていった。

祖父が帰ってくるまで僕は優花と話をして待つことにした。

優花はすごく天真爛漫な少女という感じだった。

僕はどちらかというと引っ込み事案な性格。話の主導権はいつも優花だった。

「ねぇねぇ冬弥くんはどこに住んでるの?」

「都会だよ。都心のマンションかな」

「えー都会って私も行ったことないんだ!都会って何でもあるんでしょ?」

「そうかな。ビルばっかりで何もないよ。島の方がいっぱいあるよ」

「でもいつかは都会に行ってみたいなー都会ってすごく遠いんでしょ?」

「船に乗ってそれから電車に乗ってそれからいっぱい歩くかな」

「えー大変なんだねー」

そんな他愛のない話をしていると祖父が釣りの道具をもって戻ってきた。

「待たせたの。そしたら行こうか。マスター行ってきます」

祖父はそう言うとマスターは

「はい。お願いしますね」

と軽く会釈をした。

先頭を歩く祖父、それについていく優花。優花に引っ張られる僕。

ゆっくりと海岸沿いを歩いていく。

ほどなくして堤防の先端に到着すると祖父は

「よし。この辺で始めるとするか」

と抱えていた道具を下ろし始めた。

僕と優花は祖父から小さな釣り竿を渡された。

僕は手慣れた手つきで釣り針に餌を付ける。

「冬弥くんすごいね!それどうやってやるの?」

と優花は僕に顔を近づけてそう言った。

僕は少し得意げになって

「こうやって餌を丸めて先の針に差し込むんだよ。針は危ないからゆっくりやった方がいいよ」

と優花に説明した。

「んと・・・こうかな?」

「そうそう!そんな感じだよ!優花ちゃん上手だね」

まるで釣りのプロの様に僕は優花を褒めた。

僕は何度も釣りをしているが、魚を釣ったことはまだないんだけど。

3人で釣りを続けていると祖父が魚を釣り上げた。

「釣れたぞ」

と祖父が声を上げた。見事なアジであった。

「わーすごい!すごい!」

とはしゃぎながら歓喜の声を上げる優花。

「これは美味しそうじゃのー」

そういうと祖父は釣った魚を持ってきたクーラーボックスに入れた。

一方僕と優花は竿を振り糸を巻き上げ、餌がなくなっていてまた餌をつけて竿を振る。

ただこれを繰り返しているだけだった。

「なかなか釣れないねー」

優花がぼそっと呟くと

「釣れない時は釣れないものだよ」

と僕はそういって誤魔化した。釣ったこともないくせに。

しばらくその状況が続いたあと優花がいきなり声を上げた。

「うー重いよぉ」

その小さな腕で一生懸命竿を持っているようだった。

それを見つけた祖父が優花に近づいてきて竿を一緒に持った。

「優花ちゃん。これは大物がかかっておるぞ」

そういう祖父も嬉しそうに話すとゆっくりと糸を巻いていく。

そしていよいよ釣り上げる瞬間赤い魚が目の前に飛び出してきた。

「やった!優花ちゃん!これは鯛じゃぞ」

そう。僕の目の前で優花は立派な鯛を釣り上げたのだ。

「わーすごい!すごい!」

と飛び跳ねながら喜んでいる優花を尻目に僕は少し複雑だった。

僕はまだ魚を釣ったことはないのだが。

「鯛が釣れるとは珍しいのぅ。優花ちゃんすごいぞ」

「えへへ・・・そうかな?」

少し照れながら笑みを浮かべる優花。

そのあともしばらくは釣りを続けたがその後僕は魚を釣り上げることはできなかった。

祖父が

「そろそろ帰ろうか」

と告げると僕たちは喫茶店へと向かって歩き始めた。

先頭を歩く祖父。それについていく優花。ふてくされながら歩く僕。

夕日が照らす僕の影は僕の気持ちとは反対に長く伸びていた。

喫茶店へ着くと祖父がマスターに今日の釣果について説明していた。

するとマスターは

「優花、すごいぞ。こんな立派な鯛を釣り上げただなんて」

そういうとマスターは優花の頭を撫でた。

祖父と僕はそろそろ家に帰るかと出口に向かって歩き出そうとするとマスターが

「ちょっと待ってください。こんな立派な鯛は私たち二人では食べきれません。

 今晩は私が料理を作らせていただきますのでご一緒に如何でしょうか?」

「そうじゃの・・じゃあ遠慮なくご馳走になるとするかの、なぁ冬弥。」

祖父がそう僕に問いかけたので僕はふてくされながらコクリと頷いた。

マスターが奥の厨房で料理に取り掛かる。

祖父はカウンターに座って喫茶店に置いてあった本を読み始めた。

僕と優花はテーブル席で待つことになった。

「ねぇねぇ冬弥くん。パパはね料理もとっても上手なんだよー」

「そうなんだ」

僕はそっけない返事をした。その態度に何かを察したのか優花が

「冬弥くん、今日お魚釣れなくて残念だったけどまた一緒に行こうよ!次はきっと釣れるよ!」

と慰めるような言葉をかけてくれた。

「・・・そうだね。また一緒に行こう」

と答えた。

釣りがはじめての優花に魚を釣られて悔しかったというのもあったけど

優花にかっこいいところを見せれなかった恥ずかしさの方が強かったように感じた。

ほどなくしてマスターが

「料理ができましたよ」

とテーブル席に持ってきてくれた。

カウンターに座っていた祖父も立ち上がるとテーブル席の僕の横に座った。

そこには美味しそうな香りとともに見たことのない料理が並んでいた。

すると優花が

「わーわたしコレ大好き!とっても美味しいんだよ!」

と目を光らせた。

すると祖父も

「見たことない料理じゃの。なんという料理なんじゃ?」

と僕の気持ちを代弁するかのようにマスターに尋ねた。

「はい。これはアクアパッツァという料理ですよ。」

「なに?あくあぱっつあ、とな。難しい名前じゃのー」

祖父が難しそうな顔をしているとマスターが小皿に料理を

取り分けて渡してくれた。

「それではいただきましょう」

―いただきます

僕たちは声をそろえて合唱した。

初めて見る料理を恐る恐る口に入れると魚のうま味が口いっぱいに広がった。

美味しい。めちゃくちゃ美味しい。

心で呟いたつもりが声が出てしまっていた。

「これは旨い!初めて食べる味じゃの」

と祖父も料理に感銘を受けているようだった。

談笑しながら4人の食事は進んでいく。

僕は何とも言えない嬉しさを感じていた。

僕はこうやって4人で食卓を囲むということは経験したことがなかった。

親父か祖父との2人だけの食事、最近では1人で食べることも多い。

ああ食卓を囲むというのはこういうことなのかと初めて体感した時だった。

楽しい時間はすぐ終わるもので料理を食べ終わってしばらくすると

「冬弥、そろそろ帰るかの」

と祖父が切り出した。

「わかった」

と名残惜しそうに僕も返事をした。

「マスター。今日はご馳走様でした。ほら冬弥もお礼を言いなさい」

「御馳走様でした」

と僕が続くとマスターがにっこり笑いながら

「はい、お粗末様でした」

と優しい声で答えた。

「冬弥くん、じゃあまた明日ねー」

と横から優花が割り込んできた。

僕も咄嗟に

「うん。また明日ね!」

と元気よく答えていた。

辺りはもう日が落ち暗闇が支配する時間。祖父に手を引かれながらゆっくりと家路についた。


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