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セクシャルマイノリティについて考えていること

こんばんは。ついについに梅雨があけましたね!!長いことどんよりとしたお天気がつづいていたので、清々しいお天気の中で洗濯物を干しているだけで幸せを感じられますね〜

さて、今日はセクシャルマイノリティについて考えていることを書きたいと思います。

わたしは高校も大学も女子校で、常に周りには女性ばかりだったんですね。その中で公表されていたのは数人でしたがレズビアンとかトランスジェンダーの方もいました。

例えば、服を買う時に好みのものが少なくて困る等、身近な悩みとか考えてることをとってもフランクに話してくれていたので、何の特別感もなく、あ〜そうなんだ!もっといろんな選択肢を増やすべきだよね〜ときいていた記憶があります。パンツスタイルの制服を選んで着ている子もいたりして、とっても素敵だなと思っていました。

大学ではジェンダーの授業をとったりもしていたので、今思うと私は比較的多様性について知ったり考える機会が多い方だったかと思います。

そして社会人になってわたしはとっても驚きました。え!?まだそんなこと言ってるの?化石なの?って思う場面が多すぎるんですよ。

社内にご自身がゲイであることを公言されている方がいるのですが、その方に対する社内の人(特に男性)のコメントが本当にひどすぎる。セクハラで訴えられるんじゃないかと思います。正直聞いているだけでも不快です。

その方が異動される時は、「次、○○さん(男性)狙われちゃうんじゃないですか?」とか「お前のこと、じっくりみてたよ。危ないよ。」とか。まるで男性全員を恋愛対象としているかのような口ぶりで陰口をたたいてるんですね。清潔感のカケラもないおじさんでさえ!一回自分の身だしなみ鏡で確認して、誰かの恋愛対象になれるか考えな?傲慢すぎじゃんと怒りが湧いてきます。

しかも、これを言っているのが一部の品のないおじさんだけじゃないんです。普段仕事をバリバリこなし、尊敬していた人や、若いでさえ、その話にあたりまえのように笑っているんですよね。みんなでそんな話をしているんです。

恋愛対象が女性でも男性でも本当にどっちでもいいと思うんです。もちろん誰かを好きになるならないも自由ですし。セクシャルマイノリティって枠組みにして、特別感を出すことさえ失礼なのでは?と個人的には思ってしまいます。

自分がゲイだとカミングアウトしてくれた友人がいるのですが、すごく神妙な顔をして初めて打ち明けられたとき、「こんなにひっそりこっそり打ち明けなくてはならない社会ってどうかしてる」って思いました。友人は「社内でなんて絶対言えない。どんなひどい噂立てられるかわからない。」と言っていました。人を愛するって素敵なことなのになんで窮屈な思いをする人がいなくてはならないんだろう。

不自由とか生きづらさを感じている人が一人でも減ることを日々祈っています。

まずは周りの人にわたしから発信していかないと。掘り起こした化石を変身させていく存在になりたいですね。


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