見出し画像

Pain au chocolat Pistache / パンオショコラ•ピスターシュ

 1月末に渡仏し、1ヶ月だけ語学学校に通っていた。左岸にある学校の周りには、少し歩いただけでいろんな所に辿り着ける。学生時代に滞在した際は、マレやオペラなどの観光客が惹かれがちな比較的華やかな地区に興味があり、なんだかんだあの頃は若かったのだなーと思いつつ、ぶらぶらと歩いていた。

 学生時代は12区にある学生用のレジデンスに滞在していた。世界各国からの留学生が滞在していて、静止する者が現れないことを理由に、週末あちこちで開かれるパーティはとにかく騒がしかった。私はそんな巨大な寮の地下にある、管理人さんの隣に当たる1人部屋で、ひっそりと生活していた。
 近くにある大きめのスーパーでは、言葉が通じない留学生たちが毎回わんさか来るので、店員さんたちもすっかり慣れきっていた。そんな店員さんたちもおそらく海外出身だったのだろう、私たちのような留学生を対応する姿は小さな子供と接するくらい慣れていて、驚いたものだった。気付くと店員さんと顔馴染みになっていたのが懐かしい。

 今回学校に通う期間の住まいはホームステイで、午前だけの授業を週に5回受けながら、今後の基盤となるアパルトマンを探す予定だった。
ステイ先はパリ郊外の静かな街だったので久々のパリ復帰にはとてもやさしい環境だが、セーヌ川を渡った更に奥にある為、学校から直接帰るのはなんだか勿体ない気がしていた。

 今後滞在するに当たって、どこの地区がいいだとかいう希望は全くなかった。それぞれの地区に何があるのかという情報も、感覚でしか覚えていない。まず自分が何を基準にして家探しをするかから考える必要があった。

 それに家を探すと言ってもまずはネット上の捜査から始めることになる。言語のハンデを持つわたしが無闇やらと歩いたところで、物件はを見つけることはできない。とは言え渡仏一週目なので、のんびりいろんな地区の雰囲気をつかもう...と思っていた。

 そんなことを考えながらぶらぶらと歩いていたら、人通りが多くなり、映画館やカフェなどで賑わう様子が目に入ってきた。前回の滞在では、目的がある以外は左岸を散策することはあまりなかった気がするが、この辺はどうやら記憶にあるらしい。それでも10年近くも経てば、さすがのパリでも店の看板が変わっている様子に気付く。

 目に入ったガラス張りケースの向こうには、キレイに並べられたマカロンが顔を出している。更に奥にはクロワッサンらしきパンたちが並んでいる。学校が終わってからお昼を食べていなかったことを今更思い出し、看板も見ずにお店に足を踏み入れていた。きらきら輝くマカロンたちの前を通り過ぎたクロワッサンたちの前で「ピスターシュ」の文字と目が合った。

 私はピスタチオに目がない。おつまみとして食べるそのままの姿も大好きだが、スイーツやパンに変身して現れる姿が、愛しくてたまらなかった。形を変えることによって、独特な香りが更に引き立つ。私が好きなのは香料などを添加せず、素材そのままを活かした濃厚なものだ。そうなると当然値も張る。

 白い厚紙に黒字のシャープなフォントで書かれた「ピスターシュ」から視線を上げると、細かく砕いたピスタチオをまとったパンオショコラがいた。嬉しさで衝撃を受けたせいなのか、他のパン屋さんで見るパンオショコラよりもふっくら大きく焼き上がっているように見えた。

 お店の奥にはイートインスペースが数席ある。オレンジと水色のビビットカラーをシンプルにまとめたデザインが可愛い。どうやら私が迷い込んだお店は日本でも有名なパティスリーであることに気付いた。

 レジにて迷わずパンオショコラピスターシュとカフェノワゼットを頼む。ナッツの香ばしい香りがしそうな名前の飲み物だが、こいつの正体を私は知らない。小柄だが整ったお顔のバリスタお兄さんが、カフェノワゼットはどうのこうのと説明を始める。お兄さんの説明が一生懸命だったので、お勧めを聞いて淹れてもらったが、ナッツの飲み物ではなさそうなことはわかった。ここのお店ではいくつか種類があるらしい。

画像1

 
 木製トレーにおさめられた、手の平サイズのミニカップになみなみと注がれた香り豊かなカフェノワゼット、砕いたピスタチオをまとってお皿に載せられた、パンオショコラ。
 お店一番奥の席に腰を下ろし、バリスタお兄さん力説のカフェを口にし、一息つく。まだまだカフェやパン屋での注文は緊張の連続だ。ポイントカードは持っているか、レシートはいるか、など同じことを言われているはずなのに、お店や人によって使う言葉が違うから、理解に時間がかかる。そう思いながら口にするカフェの温かさが身体じゅうに染み渡り、異国で奮闘し始めた私の心をほっこりさせる。
 
 いよいよパンオショコラ・ピスターシュと向き合う。手にして初めて実感するが、やはりボリュームそのものもすごく大きい。香ばしく焼き上がった生地をひと口ぱくっ。噛めば噛むほど、バターの豊かな香りと風味が口いっぱいに広がるのが嬉しい。そのまま食べ進めるとほんのり甘く、ピスタチオ特有の豆まめしさを強調した濃厚な風味がじゅわっと感じられた。
 これは今まで食してきたピスタチオの中でも、群を抜いて美味しい。ピスタチオの風味と香りが自然かつ濃厚で、更にバターの豊かな香りに包まれている。これは最高。一つのサイズが大きいのも嬉しいポイントだ。

 急いで食べてしまうのは勿体ないと思いつつ、お腹がすいていたこともあって、あっという間に完食してしまった。思いがけずに出逢った美味しい幸せを嬉しく思いながら、何気なくネット掲示板で賃貸情報を見ていると、目星をつけられそうな物件が左岸に数件ありそうだ。このままこの通りを散策してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 後日訪れた別のカフェで確信を得たのだが、どうやらカフェノワゼットとはエスプレッソに少量ミルクが入ったものらしく、ほとんどのカフェでメニューに載っている。サイズもエスプレッソと同量だが値段はほぼ変わらず、ミルク入りの方が私には飲みやすく感じる。今ならバリスタのお兄さんの説明を少し理解することが出来るだろうか?もう一度聞きたいなあと思いながら、カフェノワゼットを口にする。 

 それと、あれから他のお店ではなかなかパンオショコラ・ピスターシュに出会えない。他の種類のパンだとピスタチオ風味はあるが、パンオショコラの形では見つけられていない。本来はあまり見かけないものなのだろうか?また食べたくなったら、あの左岸にあるお店に行けば良いと思いつつ、パン屋に行くとついついピスタチオの文字を探している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?