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21作品目 映画「逆転のトライアングル」(リューベンオストルンド監督)

どうも自家焙煎珈琲パイデイアです。「淹れながら思い出したエンタメ」21作品目になります。

今回は2022年にスウェーデンで製作されたリューベンオストルンド監督の痛快パニックアイロニー映画、とでもいいましょうか、最高にブラックな映画の覚書です。

リューベンオストルンド監督は「ザ・スクエア」というめちゃくちゃ意地悪な作品で知りました。
かなり性格の悪い人なんだろうな、と思っています。

この映画もとにかく意地悪です。
終始、そんな言い方してなさんなよ、と他人事のようなぼやきたくなります。

最初の舞台は意識の高い人間が集まるモデル業界。
落ち目に向かっている男性モデルの主人公、カールが参加するオーディション会場。
カメラマンはオーディションの参加者たちを煽るように、いろんなことを言いながらカメラを向けていきます。審査対象となる参加者たちはカメラマンに求められる表情を見せつけようと、柔らかい顔、凛々しい顔、を作ります。

この時のカメラマンの煽り文句にすでに意地悪が垣間見られます。
柔らかい顔を求める時には「H &M」と固有名詞を出して「安いブランドはニッコリ」「#友情 #人は平等」、凛々しい顔を求める時には「フォンオーベン(架空)は客を見下して」「大金を見せびらかす感じ」
と皮肉たっぷりのセリフ。

続く、ファッションショーではVIPを真ん中の席に座らせるべく端の人たちが押し出せれて、座る席を失います。
そんな最中、始まるファッションショーのモニターにはやっぱり「人は平等」という文字。
じゃあ、真ん中に座るVIPはなんなんだ、ともう我慢出来ずにツッコミます。

その後、カールの恋人で売れっ子のインフルエンサー、ヤヤとの高級レストランでの食事のシーン。
当たり前のように「ごちそうさま、ありがとう」というヤヤと口論に。
このシーンが非常に良かったのは、男女の役割的なジェンダー論を男性の側から発している点でした。
少し前に「初デートサイゼリヤ論争」が勃発していたのを思い出させます。
女性側が、男性が食事代を払うという役割を押し付けている、という構図です。
しかも、経済的にはヤヤの方が稼いでいるのに、払うのは男性であるカール。
この認識が当たり前にある、ということで、少なくてもヤヤはある程度、保守的な上流階級との付き合いがあることもなんとなく見え隠れして見えます。

このシーンが素晴らしかったのはもう一点。
議論が進んでいくと、ヤヤがカールの「男性だからといって払うのが当たり前だという感覚はおかしい」という主張を「払いたくない」という主張にすり替えて議論を進めている点です。
この二人の論点がずれていってしまう行き違いはこの先の二人の関係性の布石となっています。

わかりやすいジェンダー論を表札に掲げておいて、キャラクターの関係性まで静かに言及しているシーンでした。

さて、豪華客船のクルーズにヤヤが招待されます。付き添いはカール。
とにかく桁違いの金持ち達が乗り合わせた豪華客船です。
有機肥料で財をなすロシア人夫婦、一緒に写真を撮っただけでロレックスの高級時計をプレゼントする男性、武器で富を築いた老夫婦、何者かわからないけどとにかくクルー全員を泳がせたい女性、など。

見ていてイライラさえてくるような金持ちっぷり、それに由来する傲慢ぶり。
しかし、それを皮肉たっぷりに可愛らしく描いていくのがオストルンド監督です。
地雷の禁止で売り上げが減った老夫婦はその困難を「愛の力」で乗り越えたと、真顔で言います。お互いに助け合ったんだ、と。いいでしょ、このブラックな感じ。

そんな豪華客船のサービスを担当するのがポーラ。
客のどんな要求にもイエスで答える、という客との主従関係で言えば、下に控えているポーラ達が客のチップを目当てに稼ぐぞと息巻いて騒いでいます。
その下の部屋には、掃除婦のアジア人達が狭い部屋に押し込められて、スマホをいじっています。
下には下がいる、ということを思い出せる構図です。
意地悪に容赦がないです。

アル中のキャプテンが指揮する豪華客船は超がつく高級ディナー中に嵐に突入して、船は大荒れ、みんなが船酔いでディナー会場は地獄絵図。
嘔吐が極端に苦手な私にはかなりきついシーンでした。
そして、船は海賊に襲撃されます。その際に使われるのが、先ほどの武器を扱う老夫婦の会社製の手榴弾。皮肉が効きすぎです。最高。

船が難破して、無人島に流れ着いています。
普段は金に物を言わせて、人にやらせるだけやらせて、自分じゃ何もできない金持ち達。そんな中、タコを素手で捕まえて、火を起こす猛者が現れます。
トイレ掃除係のアビゲイルです。

痛快だったのは、自分で調達した料理のほとんどを、自分で食べようとするアビゲイルに船上員として乗客を守る義務があると説くポーラに「船?船がどこにある?」と一撃。船の上ではトイレの掃除婦だった私がここではキャプテンだ、と言い出す始末。
みんなは少しでも有利にいようと、腕にしていた高級時計をアビゲイルに献上し始めます。

無秩序だった遭難者たちにアビゲイルという君主が確立することで、少しづつ社会が形成されていきます。
それも船の上で有効だった経済力ではなく、アビゲイルに気に入られるかどうか、を基準に。
面白かったのは、勝手に食料を食べたカールと黒人の若い男性に対して、ポーラが罰が必要だ、と主張するシーン。社会が形成される上で、権力と一番繋がりやすい罰則がいち早く生まれる、というのは興味深かったです。
オストルンド監督の社会に対する鋭い考察が垣間見れました。

アビゲイル帝が君臨する無人島社会でやんごとなききわにはあらぬカールはアビゲイルにときめかれて、アビゲイルが寝泊まりするシェルターに呼ばれるようになります。
そうなると、高級レストランのシーンで言及した通り、もともとどこか噛み合わないところがあったカールとヤヤの間に溝が。
この溝から急降下するように、すごい速さで結末へと展開していきます。
ここの展開、それからそこまで説得力、素晴らしいです。画面に釘付けになります。

ヤヤとアビゲイルが二人で食糧の調達に赴くシーンで映画は終わります。
そして、この最後の最後に、まるで鉄槌のような皮肉でオストルンド監督から横っ面を張られて幕が降ります。

とにもかくにも、ニヤニヤ笑えてくる満載の皮肉に、キャラクターに苛立ちさえ覚える没頭感。
そして、なんといってもラストシーンに待っている身震いするような皮肉。
私は大好きでした。

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