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なぜ私はピーマンの醤油炒めが食べられないのか

 子どもの頃嫌いだったものが大人になると食べられるようになることがある。例えばナスとかゴーヤとかだろう。いわゆる大人の味覚というものだ。誰しも経験があるだろう。私にも子どもの頃に食べられなかったものがある。

 それはピーマンの醤油炒めだ。

 小学生の頃に美術の授業でピーマンをモチーフにして絵を描くという課題があった。私は当時ピーマンが大嫌いだったため尻込みしていたが、周りのみんなは一心不乱に描いていた。というのも、なんと早く描きあげた人から、モチーフに使ったピーマンをホットプレートで焼いて食べられるというのだ。授業中に何かを食べるなんて非日常を味わうために、みんなは必死に画用紙に向き合っていた。

 私はといえば、ピーマンを食べるということがなんの得にもならないのでゆったりと描いていたが、それまであまり見ないようにしていた野菜を観察してなんとなく興味を持ったこと、友達が作品を提出してピーマンを美味しそうに食べている姿を見ていると、なんだか自分も食べたいな、という思いがふつふつと湧いてくるのを感じた。

 絵を仕上げて提出してしまうと、私はなんとピーマンが焼かれているホットプレートに近づくと、そのまま先生が焼いてくれたピーマンの醤油炒めを口にした。

 美味しい……そう思った。焦げた醤油の香ばしさと、シャキシャキのピーマン。嫌いだった苦い味は一切せず、ピーマンは美味しい食べ物として私は認識を新たにした。絵の具香る中のでのピーマンの醤油炒めは、その非日常感もあって大好物といってもいいものになっていた。その日だけは。

 翌朝、私は盛大に嘔吐した。何度も何度も嘔吐した。下痢もした。学校も休んだ。暗い部屋で一人腹痛と嘔気と下痢に耐え続けた。子ども心ながらに嘔吐の原因は、あのピーマン炒めだと直感した。よく考えたらなんか絵の具みたいな味がした気がするし、きっとだれかが色を確かめるために塗ったに違いない。

 あれ以来、私はピーマンの醤油炒めが食べられない。青椒肉絲は食べられる。パプリカも生で平気だ。でもピーマンを醤油で炒めたものは無理だ。何故ならば、絵の具の味がするからだ。それでも母は食卓に執拗にピーマンの醤油炒めを上げた。嫌がらせか、と思った。

 これが私がピーマンを敬遠する理由である。今でも食べられない。誰にでも嫌いな食べ物のエピソードは一つや二つはあるだろう。それがこれである。

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