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哀しく見えた夜桜

元気で生きていくんだよ。
と言って、元の場所に放す日。
ケージから一目散に飛び出して走っていく後ろ姿を見つめ、その子の健康と安全を願います。
全ての子を適切な環境で保護できるならばどんなに良いでしょう。
手術の時に、出来るだけの医療処置をしてはいるけれど、やはり、数が多くなると、全ての子達が、寿命を全うするまでを見届けることは、できません。

せめて、増えることによる、苦情や、心無い人からの嫌がらせ、虐待、殺処分を無くすこと。
病気やケガをしても誰にも見てもらえず、辛くも命を落としてしまう子たちを減らせるように。
発情期で遠くまで彷徨い、交通事故に遭うこ、自分だけも生きていくのが大変な中、子育ての負担をしなくても良いように。

もちろん、やる事の全てが、正義ではないかもしれませんし、猫の幸せは、猫にしかわかりません。しかし、野良猫の問題は、社会問題の1つであることも事実ですし、命に関わる被害を受けるのは、やはり小さな方なのです。

元はと言えば飼い猫だった子が、人間に捨てられたり、迷子になったりし、その子孫が今の野良猫の姿になったとも言われています。
そして、彼らは何かしら人の手を必要としながら、私達と共生しています。だから、人の手が関わっているだけに、その問題は人の力で助け合って解決していくのが道理だという考えにもうなずけます。

野良猫と飼い猫は、置かれた環境が違うというだけで、その運命は大きく変わってしまいます。胸が痛むのは、どんな姿や性格をして外で暮らしていようとも、もしこの子が飼い主のいる運命だったら、という想像をしてしまうからなのでしょうか。

今年に入って、気にかけていた子が姿を見せなくなりました。
あの子は、気丈にふるまっていて、実は体調が悪かったのかもしれません。
きっと1人で、辛い時間を耐えていたことでしょう。
後悔と、寂しさと、無念とが入り混じり、ああいう生き方なのだから仕方がないと、割り切って受け入れるまでに、少し時間がかかります。

せめて、住み慣れた場所で、大好きな場所や、駆け回った道、彼らなりに楽しかった思い出が少なくとも、きっとあったのだと信じ、人知れず亡くなっていった、彼らの最期を、何もしてあげられなかった後悔を感じながらも、どうか安らかである事を願わざるを得ません。

寒かった冬を忘れさせるように、
桜の花が、綺麗な花を咲かせ始めています。
本来なら、花は悲しみを慰めてくれるように見えたりするものです。
しかし、無情にも自然の厳しい摂理をつきつけられたようで、心が置き去りになる感覚を受けたりもします。

#ねこ #日記 #野良猫 #ボランティア
#猫

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