しあわせってなに?
先日、ある話の流れから、同僚に『しあわせって、何だと思う?』と問いかけられました。
う〜ん…。なかなかの難問です 苦笑
なぜかというと、切り口によって答えは大きく変わってくると思うからです。
パートナーがいてしあわせ、おいしいものを食べてしあわせ、好きな音楽を聴くしあわせ、子供の成長を感じるしあわせ、お金に余裕があることのしあわせ、安心してぐっすり眠れることのしあわせ、大きな悩みごとがないしあわせ…
数えあげればキリがありません。
けれど、それも少し状況が変化すれば、しあわせだと思っていたことが逆に不幸だと感じることになることも世の常ではあります。
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パートナーがいてしあわせだと思っていたのに、だんだん相手の欠点ばかりが目につくようになり、ケンカばかりになったり。
小さな子供の頃は可愛かったのに、成長と共に反抗期になり親のいうことを聞かなくなり手に負えなくなったり。
急に会社をリストラされて転職できたのはよかったけれど、収入が激減して生活が苦しくなったり。
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考えてみれば人生は『一寸先は闇』かもしれません。
けれど逆に、自分は不幸だと思っていたのに、何かのきっかけで人生の師のような素晴らしい人との出会いによって人生が180度変わったり、たまたま目にした言葉やメッセージによって幸福感でいっぱいになることもあります。
つまり、一般的にしあわせというものは固定化されたものではなくその時々の自分の環境や心境によって変化する流動的なものでもあると思うのです。
目の前に現出している現象や現実から、自分がどう感じるのかということではないかと思います。
パートナーがいても、いろいろ意見が合わなくて衝突ばかりしていて不幸だと思うこともできるし、
逆にいろいろ相手にも欠点はたくさんあるけど、自分自身も完璧ではないし、わたしとしては一人でいるよりもパートナーがいてくれた方がやっぱり幸せだなと思うこともできます。
まったくの自由です。
どのようなことであっても、そこからどんな幸せの種を見つけ出すことができるかが、しあわせな人生を歩むコツではないかと思います。
言葉を変えると、そこからどんな感謝の種を見つけ出すことができるかということかなと思います。
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誰でも、自分自身の考えかたや感じかたのクセがあると思います。まずはそれに気づいて、できるだけニュートラルな状態に近づけていく努力をしていく必要はあるのではないかと思います。
けれど、本当はもっと大切な幸福感というものがあるのではと思います。
このテーマで数回にわたり書いてみたいと思います。