なんにでもなれる日記
(図書館にて脳のなかの幽霊という本を読んだ。)
私の手は私の手である。でも、私の手は私の手であると、私がわかっているのではなく、脳がそうだよと信号を出している。私が脳を錯覚させるように振る舞うと、脳は結構簡単に、鏡にうつった違う手や、場合によってはテーブルでさえも私の手だと勘違いするらしい。私と脳は別なのかな。そんな簡単に勘違いするのであれば、私の身体が私であるという意識を(私という身体をうごかす)脳が簡単に間違えるのであれば、私の身体を私でなくする、つまり私の身体でないものを私だと思うことは簡単なことなのか。もうそれってなんにでもなれるということか。まあ私に実際くっついてきて、私が移動するとその場所までついてきてくれるのは私の身体だけなのだけど。でも私の身の回りの全てを、私は本気で私だと思いこむことができる。それが私の身体の外のものでも、叩かれたらその衝撃に身体が対処するために、緊張したりするのであれば、もうそれは、その物体は私であるみたいな、意識の場合では。
湯船に浸かる。透明な水に私の身体が沈んでいる。水が脚や私の臍に完璧に密着している。どんなふうにしたら、この水を叩いたとき、私自身が痛いと感じるのか考える。または、触れたらくすぐったいと感じるのか…。それができたら、そうしたら私は水だ。もし水になったのならば、私はどこまでも大きくなれる。私の想像がつくところまでならば、たとえばそう海まで…。
この前イルカが種ごとに紹介されている本を見ていた。スナメリは可愛い。背びれのないイルカって割といるんだなと思う(セミイルカを初めて知った)。
私はイルカに泳がれることができる。
私はイルカの群れに泳がれたい。
今日のうた
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