検査を続けていた未来を考える
もう叶うことのない日常を、供養します。
私が想像していた、「その後 慣れることができた」バージョンの世界。
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私はとある会社の正社員、検査職。
仕事も段々と慣れてきた3年目の夏。朝起きるとすぐにトースターでパンを焼き、立ったまま食べる。適当な冷凍食品をタッパーにつめて、スーツに着替え、お姉ちゃんにいってきますをして、家を出る。
駅のホームに着くと、たまに会うことのできるショートボブの「天使」に遭遇。ラッキー。
今日は頑張れそう。
会社に着いたら、スーツから白衣に着替える。
ワイシャツは面倒だからそのままでいいや。
デスクについて朝礼を終えると、今日自分に振られた検査と、届いているメールをチェックする。
1年目は1種類しかできなかった検査の幅もかなり広がって、プラスチックや金属も扱えるようになってきた。
社員の中で一番悪かった業績も、今では安定してきて、私ってやっぱりやり続けたら伸びるタイプだったんだな、と思う。
少し離れた場所で頑張る同期のあの子も、まだ辞めずに踏ん張っている。
たまに連絡を取って、研修の時期になると会えるのを心待ちにしている関係だ。
ああ、いつかは私もあの子も結婚して、辞めますとか産休取りますとか言うのかな。
そんなことを思いながら、検査に追われあっという間に終わってしまった午前中。
お昼の冷凍食品を温めに、給湯室に向かう。
給湯室にあるレンジのつまみを回して、少しの間待っていると、カップスープにお湯を注ぎに来る事務員さんや、コーヒーを淹れに来る検査員(毎回マイコーヒーセットを持ってきている)さんと隣合わせになる。
ぺこ、とお辞儀をして、少し気まずくもいつもの日常になんだかホッとする。
これが日常と思えるようになったのは、いつからだろうか。
絶対にやっていけないと言いながらNiziUのライブ映像を見て、毎晩泣いていた日もあったっけ。懐かしいな。
チンと音が鳴ると、次の人を待たせないよう、足早に給湯室を出た。
午後は珍しい虫を見つけた先輩の顕微鏡に皆で集合して、すごいすごいと盛り上がったりしながら、
今日のノルマを終わらせるべく切り替えてPCの置いてあるデスクに座る。
顕微鏡、デスク、顕微鏡、デスク。
頭が痛くなりそう。効果は定かではないが買ってみたブルーライトカットのメガネをつけたり、トイレに行くふりをしながら適度に休憩をしてごまかしていく。
今日は残業、一件だけやれば帰れそうだな。
そこまで悪くないペースで、ぽちぽちキーボードを打ちながら報告書を書いていく。
集中が少し切れると、少しでも気分をあげるために買ったピンクゴールドのペン立てと、ハート型のチャームがついたボールペンが目についた。
チャームがジャラジャラと音を立てるこのペンは、うるさくて正直ほとんど使わないが、そこにあるだけで何となく乙女心が満たされる。
そんなことを思いながら、胸に挿してあるシンプルなボールペンを取り出し、報告書の根拠となる写真にちまちまとメモを書き足していった。
今日の依頼件数と、報告した検査件数を日直がホワイトボードに書き込み、課長から翌日以降の目標や予定が話される。
「申し訳ないですが、今日はこのあとできるだけ一人一件、検査をお願いします」
今日も昨日と同じ言葉を聞いてから、日中よりも少し解けた雰囲気での残業が始まる。
たまにミスをすると焦るけど、慎重に進めていけばなんてことのない、単調な日々。
でも、この仕事ひとつひとつが数多ある会社を助けるのだと思うと、やりがいはまあ感じられる、そんな日々。
帰りの電車に乗っている途中、お姉ちゃんに今日の夕飯はどうするのかとラインをすると、今日は買い弁でいいや、何か欲しいものある?と返信が来る。
オムライスおねがいとだけ打って、電車から降り、少し古いけど気に入っているアパートまでの道のりを歩いていく。
もう少し涼しくなったら、この道の両脇に金木犀の花が咲き、いい香りを漂わせる時期が来るんだなと思いながら、今日もたくさんの人に抜かされては、帰る。
また明日、同じ日が来る。
今日とあまり変わらず、明日も同じ気持ちで帰れますように。
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2年前に、私がいつかはこうなるから大丈夫と願った理想の1日です。
過去のように書かれた不名誉な業績や、焦りや、変に細かい景色だけが、ほんものです。
まだ立派な検査員を夢見て一生懸命働いている、パラレルワールドの海へ。
諦めずに頑張った先の私が、いつかこんな日に辿り着けますように。
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