文転にまつわる思い出話

はじめに

一昨日『和泉式部日記』を読んで、受験の頃の事を思い出しました。一昨日も書いたような気がしますが、『和泉式部日記』は私にとって人生を変えた一冊です。せっかくなのでちょっと思い出話でも書こうと思います(ちょっとのつもりでしたがめっちゃ長くなりました)。

今までに何度か書いた気がしますが、私は高校の頃理系でした。しかし高3の12月に文転し、大学は文学部国文学科に入りました。その大きな決断の決め手となったのが『和泉式部日記』です。

元々国語は嫌いだった

私は中高一貫の私学に通っていました。成績については以前どこかでチラッと書いたような気がしますが、中学の頃から文理が分かれるまで完全に理系型でした。数学、理科(化学、物理)で良い成績を取り、社会でそれを引き下げ、大体英語と国語と同じ辺りに合計が落ち着きます。

国語は自分の中で得意でも苦手でもありませんでしたが、授業はとても嫌いでした。理由は多分授業とテストの繋がりが感じられなかったことと皆で読む意味が理解できなかったことが大きいと思います。勝負好き(というか負けず嫌い)な私は、テストの順位を上げるのをゲームのように楽しんでいました。そんな私にとって、テストに関係無い授業は全く魅力が感じられませんでした。また小説はよく読んでいたので、教科書の本文は一度読めば十分だと感じていました。「それ」とは何を指しますか?なんて当たり前の事を確認して何の意味があるのかと思っていました。

古典への関心

そんな国語嫌いだった私が古典に興味を持ったきっかけは授業で取り上げられた一つの作品でした。それは「伊勢物語」の「筒井筒」です。

当時青春・恋愛のようなジャンルの小説が好きだった私は、面白い青春・恋愛小説を探していました。そんな時、授業で扱った「筒井筒」はまさにそのパターンだったのです。「筒井筒」は両想いだった幼馴染が一度離れた後に復縁する話です(ものすごく雑な説明なので興味がある人は読んでみて下さい。短いです)。それを読んだ私は「世の中にはまだこんな面白い本が残っていたんだ!」と思いました。

古典の中には恋愛モノがあると知った私は、とりあえずネットで色々と調べてみました。「古典 面白い」「古文 面白い」などで検索した覚えがあります。すると、「伊勢物語」だけでなく「古事記」や「枕草子」など有名な作品から有名ではない(と当時思っていた)作品まで、様々な面白いネタがある事を知りました。「もっと知りたい!」と思ってひたすら検索をしましたが、多くは見つけられず、同じページを何度も見ていたように思います。

そんな風に行き当たりばったりで調べている中、私はとても重大な発見をしました。なんと、Amazonで古典の文庫本が売られていたのです。今思えば当たり前の事なのですが、教科書で読むだけの存在だった古典が、いつも読んでいる小説と同じように読めるのは当時の自分にとって衝撃的でした。

それから間も無く、校則違反をして学校帰りに本屋に立ち寄ると、なんと本当に本屋に古典がありました。思った以上に種類が多くて驚きましたが、ひとまず『伊勢物語』を買いました。

『伊勢物語』

私が買った角川ソフィア文庫の『伊勢物語』は本文(脚注付)、補注、現代語訳という構成になっています。なので、まずわからないなりに一段読み切る、その後補注を見ながら読み、わからないところは現代語訳で確認する、という読み方をしていました。

初段を読んだのは電車の中だったと思います。「昔、男初冠して、奈良の京、春日の里にしるよしして」から始まる初段は学校で習ったという方も多いのではないでしょうか。この初段がまた面白かったんです。

何が面白かったかというと、解釈が割れたんです。具体的に言うと、初段に出てくる一つ目の和歌、「春日野の若紫のすりごろもしのぶのみだれかぎり知られず」の解釈です(ちなみに「小倉百人一首」の「みち」を本歌取りしています)。私は初めて読んだ時、「しのぶのみだれ」は「しのぶもぢずり(という東北地方の染め方)の乱れ模様」と「忍ぶ(我慢する)」が掛けられていると思いました。なので自分なりに現代語訳するとこんな感じでした。

春日野の若紫のすり衣のしのぶもぢずりの乱れのように、私の心はこの上なく乱れに乱れて、もうあなたを好きという気持ちが我慢できないよ!!

さて、現代語訳を確認してみますと、

春日野の若紫のようなあなたがたの姿に、この狩衣の模様のとおり、私の心は千々に乱れています。

あ、あれ?なんか温度差……?というか「しのぶ」って掛詞じゃないの……?

なんだか電車の中で一人で盛り上がって情熱的に訳してしまった自分が急に恥ずかしくなって、思わず本で顔を覆い隠しました。

これが私の初めての古典の思い出です。この落差が面白く、以後敢えてずっと劇的に想像しながら読んでいました。「伊勢物語」は章段毎に話が一応独立しているで一つ一つの話が基本的に短くて読みやすいです。125段もあるので中には全然面白くないものもありましたが、禁断の恋のような面白い話もありました。

『和泉式部日記』

『伊勢物語』を読むのにどれくらい時間がかかったかは覚えていません。多分かなりかかったと思いますし、途中で別の小説を読むこともあったと思います。ただ読み終えた後はそこで終わらず、次はどの古典を読もうかな、と自然と思いました。そこで選んだのは『竹取物語』と『土佐日記』でした。どちらを先に読んだのか覚えていませんが、決め手は短かったからだと思います笑

そして4作目に選んだのが、この『和泉式部日記』でした。確か学校の夏期講習(我が母校は夏休みが十日しかない自称進学校)の頃に配られた「図書館だより」で見たのがきっかけでした。紹介文から恋愛モノである事を知り、買うことを決めました。

『和泉式部日記』も最初から面白かったです。一昨日のnoteに少し書きましたが、元カレの弟との禁断の恋です。ただ中でも最も心が惹かれたのは「有明の月の手習文」という場面です。その文章が本当に美しく、涙が出そうになったのを覚えています。「ああ、古典ってこんなに綺麗なんだ」と思いました。少しだけ、引用しておきます。これは和泉式部から帥宮へ送られた手紙の文章です。

風の音、木の葉の残りあるまじげに吹きたる、つねよりもものあはれにおぼゆ。ことごとしうかき曇るものから、ただ気色ばかり雨うち降るは、せんかたなくあはれにおぼえて

  秋のうちは朽ちはてぬべしことわりの時雨にたれか袖はからまし

(中略)

  まどろまであはれいく夜になりぬらんただ雁が音を聞くわざにして

とのみして明かさんよりは、とて妻戸をおしあけたれば、大空に、西へかたぶきたる月の影、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空の気色、鐘の声、鳥の音一つに響きあひて、更に、過ぎにし方、今行く末のことども、かかる折はあらじ、と袖のしづくさへあはれにめづらかなり。

本当は手紙の本文全てを引用したいのですが、なるべく分かりやすい所をピックアップしたつもりです。細かい訳は気にせず、音読してみてほしいです。勿論、魅力はここだけでは無いのですが、書き始めるとキリがないのでそれはまたの機会にしたいと思います。

文転を決意

ともかく、『和泉式部日記』に感銘を受けた私は、初めて理系を選択した事を後悔しました。既に高3の夏、今から進路を変えるのはあまりにも無謀でした。元々理系にしか眼中になく、学費の事も考えて浪人してでも国公立を目指すつもりでした。なので日本史については全く勉強しておらず、日本史の授業中には有機化学の勉強をしていたのを覚えています。進路を変えるには遅すぎました。しかし大学の授業について調べてみると、専門以外の授業も学べる(いわゆる「潜る」)という事がわかりました。なので大学に入ったら古典の授業も受けよう、と思いました。

そんなこんなで秋になり、学校で一斉にセンター試験の申し込みをしました。今思えばこの時であればまだ間に合ったのです。点数は悪くとも「日本史B」を受験さえしていれば、国公立に願書を出す事はできました。しかしその頃は文転など思いもよらなかったので、社会科は「倫理・政経」だけを選択してしまいました。

その少し後、私立大学の公募推薦がクラスの中で話題になるようになりました。私は前述の通り浪人してでも国公立に行くつもりだったので、私立は全く受けるつもりがありませんでした。しかしこの時に気づいてしまったのです、私立なら国数英で受験できるということに。さらに私立でも文系であれば理系ほど学費が高くありません。そこで私はまず次のようなプランを立てました。滑り止めで私立文系を受ける、本命で国公立理系を受ける。理系に受かったらそちらに行く、落ちたら文系に行く。この頃から少しずつ文転が現実味を帯びてきました。

理系に行くつもりだけど落ちたら文系へ。自分の中でこの結論は割と満足をしていました。この頃はまだ誰にも話していませんでしたが、誰かに知らせたらきっと驚くだろうなと思っていました。クラスの誰もこんな事は思いつきもしないだろう、というちょっとした冒険心。でも結局理系に受かって何事も無いだろうという安心感。

しかしある日ふと思いました。もし両方とも受かったらどちらに行こうか、と。勿論初めの考えでは理系に行くつもりでした。しかし改めて考えてみると、どちらかを選択できる時、どちらかといえば、文系に行きたいな……と思いました。初めてこの自分の本心に気づいた時は正直ちょっとパニックになりました。真っ先に思ったのは、「あれ?じゃあ理系受ける必要無くない?」という事でした。

いよいよ文転が目の前に迫ってきて、焦りながらも色々な事を考えました。まずは学費のこと。調べると大体4年間で150万円違いました。しかし理系に進む場合は工学部志望だったので修士まで進むつもりでした。それも含めて考えると差は30万前後。2年早く働き始めるのなら、その程度であれば親に返せるだろうと考えました。

次に学歴。今となっては笑い話ですが、当時学校のいわゆる国公立信仰に多少なりとも影響されていた私にとってはそれなりに大きな問題でした。後の話ですが、文転を決意した後に進路指導の先生に呼び出されて「あなたならセンターで失敗したとしても○○大くらいなら受かるだろうに」と言われた時は少し心が揺れそうになりました。工学部志望だった私は「工学部は就職に強い」という情報を持っていたので、就職の安泰が魅力的に思えたからです。あとは多分、プライドみたいなものも正直あったと思います、恥ずかしながら。

結果的に文転を決意させたのはこの就職という点からでした。まず第一に、工学部以外の人、国公立大学以外の人も、卒業した後は多くが働いて生きていると思います。だから別に文学部の、私立大学に入ったとしても生きていけないわけじゃないんだ、という当たり前の事を確認しました。次に年収の差を考えてみました。最初はデータを探しましたが、どれも信用ならないものばかりでわかりません。ただ理系の方が平均的には高い傾向にあるようでした。

ここで、なぜ就職するのかについて考えました。勿論お金を得る事はその主要な目的の一つです。ではどの程度のお金が必要か。家族を養っていくだけのお金です。勿論やりがいなども大切ですが、私にとって働く事は家族の為というのが大きいという事に気づきました。家族というのは即ち好きな人の事です。では、やりたい事を我慢して年収の高い仕事に就くか、やりたい事をやってそれなりの年収の仕事に就くか。どちらが良いかを考えた時、その判断する視点は好きな人に拠ります。それを自分の立場に置き換えるとこうなります。やりたい事を我慢して年収の高い仕事に就いた人と、やりたい事をやってそれなりの年収の仕事に就いた人、どちらが魅力的な人間か。或いはどちらを魅力的な人間だと感じる人を自分が好きになるか。こう問いを捉え直した時、私はすぐに後者を選びました。経験主義的な学習法を既に自覚していた私は、やりたい事をやった方がきっと面白い人間になれると確信していたからです。またそういった魅力よりも(一定水準以上の)お金を求める人にはきっと惹かれないだろうとも思いました。

「好きな人」というのは当時人生における最優先事項だと思っていたので、これ以上の議論は不要でした。好きな人を最も幸せにするための方法ならこの上なく正しい選択だと思いました。こうして文転することを決意しました。

決意の後

文転を決意した後も、色んな事を考えました。まずはどのタイミングで親と学校に言うか。文転したいということを初めて話したのは、友達のお母さん二人でした。「え?」と思うかもしれませんが、兄が幼稚園児の頃からの付き合いで、私の「第二第三の母」「育ての親」と呼ばれる人達です。どんな反応をされたのかあまり覚えていませんが、思ったより驚いた様子も無く冷静に「まあそうしたいと思ってる事を正直に言ったら両親も納得してくれるよ」といったような事を言われました。親に言ったのはもうしばらく後、ハロウィンパーティーの日でした。その友達の母達も含めて家族絡みのハロウィンパーティーを我が家で開いていた時です。この日は実は、兄の幼稚園の同級生のうち理系の京大生が来ており、母は受験についての相談に乗ってもらようにと思っていたようでした。そしていざその話が始まった時に、友達の母が助け舟を出してくれました。「実は言いたいことがあるんやんな?」と。そこで初めて言った時の親のパニックは、今でも鮮明に思い出せます。「え!?そんなん無理や!!」とはっきりと言われました。お酒に酔っていたのもありますが、本当にパニックになっていました。まあ6年近く理系のつもりだったので、当然の反応かもしれません。言い争いにはなりませんでしたが、なんとか友達の母達が母を宥めてくれました。その後、(話にならない)話し合いを何度かすると、母親は何故か数学に対する不安から文転したがっていると思ったようで、塾に行かされました。数学はどちらかといえば得意な方だったので、実際に授業をしてくれた塾の先生は混乱していました(その分すぐに仲良くなれましたが)。

学校の先生に言ったのは実は親よりも前で、友達の母達に言った日と、ハロウィンパーティーの日の間です。一度人に言うとかなり心が楽になり、何人かの親しい友人には既に打ち明けていました。

それは中間テストの日でした。私の母校ではテスト期間は午前で終わり、午後は自宅学習時間となっていました。私は高校一年の頃からテスト期間は放課後の教室に残って自習(したり遊んだり)していたのですが、この時は『建礼門院右京大夫集』を読んでいました。終礼が終わって間もなく、『建礼門院右京大夫集』を読んでいると担任が私の前に来て「それはテストと関係ないんちゃうか?笑」と言いました。なんと返したかは覚えていません。しかしその直後にまだ教室に残っていた友人がこう言いました、「まあお前はもう実質文系みたいなもんやもんな」と。すると当然担任は言います、「おい、どういうことや?」と。まあ隠しても仕方がないかと思い、私は文転するつもりである事を担任に伝えました。本当は何食わぬ顔で私立を文系で受験し、理系は「願書出し忘れましたー」と言うつもりだったので残念だなぁと思いました。担任からすると割と一大事だったようで、大変ご迷惑をおかけしました。

その後は進路指導室に呼び出されたり、国語の先生に呼び出されたりしながら、いつも通り授業を受けました。どの先生がいつ知ったのかはわかりません。正式に文転が決まったのは期末テストの頃、11月末でした。期末テスト後の12月からの授業で文系で授業を受けるように言われました(うちの学校は文理でクラスは分かれておらず、授業のみ分かれていました)。ちなみにこの進路変更を受けて、中一の時から与えられていた特待生という称号を剥奪されました。授業料が急に一年分増えたのでなかなか大きな出費だったと思います。かの友人とは今でもよく遊ぶので、「お前がバラさなかったら一年間年分授業料浮いたのに」と、よくネタにしています。

一番嫌だったのは各教科の先生に報告しにいく事でした。特に数学の先生は怖いので何を言われるのかと思っていました。しかし最後には「頑張れ」と励ましの言葉をもらって安堵しました。後に担任から聞いた話で、この怖い数学の先生が「この時期に文転する度胸があるならあいつはやっていける」と言ってくれていたそうで、ちょっと嬉しかったです。後は化学の先生が期末テスト前の提出課題のノートに応援メッセージを書いてくれたのも嬉しかったです。

ただ苦労も色々とありました。中でも学校での息苦しさがしんどかったです。担任に話してからはクラスの中でも多少噂になりました。例えるなら、推薦で先に合格をもらったような気持ちと似ているかもしれません。クラスのみんながこれから大詰めで難関国公立を目指す中で一人私立を目指すというのは中々温度差があります。勿論私が学校で余裕ぶって騒ぐような事はしませんでしたし、クラスメイトが私をいじめるような事もありませんでした。しかし私にとって受験勉強に対する気持ちが軽くなっていたのは事実で、その分そこにいてはいけないような気持ちになっていました。嫌いだった英語の授業は体調不良を理由に保健室でサボるようになり、時々学校そのものを休む事もありました。後で聞くと母親はかなり心配していたようで(何故かいじめを)、兄からは「お前もう受験終わったみたいな生活してるな」と言われました。ただ連日休んだ時、一度だけ喧嘩になりました。記憶の限り書いてみようと思いましたが、ただの愚痴になったので省略します。

ただこのサボりの中でも、良い思い出があります。その日は体調不良を理由に学校には午後から登校すると連絡しました。昼過ぎに母親が仕事に行った後、私は学校にやっぱり今日は休むという連絡をしました。その後、どこか遠くへ行きたい気分になって、近くにある川を遡ってみようと思いました。ひたすら自転車で川を遡り続けました。心の中で叫びながら、黙々と自転車を漕ぎ続けました。2時間ほど経った頃だったでしょうか、とある駅に着きました。それは知っている駅なのですが、まさか繋がっているとは思わなかったのでとても驚きました。「え、ここに繋がってたんだ」と。その時の気持ちは「この広い世界に比べて、自分の世界はなんてちっぽけなんだろう」という使い古されたような表現が、最も適切だと思います。この経験が自分の悩みのちっぽけさを思い知らせてくれ、心を軽くしてくれました。まだ多少時間があったので、もう少しだけ進んでから引き返そう、と謎に前向きな気持ちになったりしました。帰り道はかなりスッキリしていたと思います。夕日が空を橙色に染めていて綺麗でした。川は行きと反対側を漕いでいました。すると、河川敷にコスモス畑がありました。夕日とコスモスが合っていてとても綺麗でした。

家に着く前に時刻を確認すると、学校がある日の帰宅時刻より少し早かったので、公民館で『建礼門院右京大夫集』を少し読んでから帰りました。家に帰ると、親に「どこ行ってたの?」と言われました。学校に行っていないことがバレていました。学校から家に電話があったようです。「公民館で自習していた」と言うと、なんとかなりました。

受験本番はあっけなく終わりました。楽しかったなぁと思います。特にセンター試験はセンター利用さえ合格できれば良かったので、全く緊張がありませんでした。二日目は鼻水が酷かったのと時計を忘れたのでコンディションが良くありませんでしたが、それすら楽しんで受験しました。本命の私立はちょっと危なかったけれど、試験を受けた三日間で『人間失格』を読む余裕も持って合格できました。まあ古典が好きな元理系が国数英で受験したので若干反則みたいなものです。ただこれを思い返すたびに、勝負から逃げてしまったような気がしてしまいます。高校のクラスメイト達はそれぞれ受験を乗り越えて大学生になりました。その経験をしなかった私は、何かをかけがえのないものを見逃したような、そんな気分になります。まあその分全く別の経験をしているので結局ないものねだりなのですが、ただ何かを全力でやっている人に憧れるのはそういうところからもあるのかな、なんて思います。

私立の本命は実は二つありました。合格発表後も入学金振り込み直前までどちらにするか迷っていました。文転を決めてからはそれなりに大学に行く意味なんかを考えたり色々調べたりしました(罪滅ぼしのような気持ちもあったのかもしれません)。一方は先生の専門が学びたい事に近く、もう一方全体的に層が厚いイメージでした。結局授業のカリキュラムを見て、一年目から古典に専念できそうな方を選びました。周りのクラスメイトで入学前に教授のことを調べている人はあまりいなかったので、これは良い経験だったなと思います。

ちなみに、結局担任には国公立も理系で受けるように言われました。色々と理由付けをされましたが、まあ進学実績の為だったと思います。私は母校がとても嫌いだったので、当初の予定通り「願書出し忘れましたー」と言って受けませんでした。受験費も勿体ないし。でも担任は割と良い人だったので、最後に花を一本添えるくらいしても良かったかなぁなんて、最近になって思うようになりました。

おわりに

合格後から入学までの間、何をしていたのかはあまり覚えていません。ゲームが買いたくて派遣のバイトをやったものの、買ったゲームはすぐ飽きてしまいました。

とにかく古典を勉強したい一心だったので入学してからはそれなりに真面目に勉強したように思います。今よりよっぽど真面目でした。入学前から卒論は『和泉式部日記』で書こうと思っていたので、そこを中心に勉強しました。

しかし、今はどうでしょう?ほとんど国文学の勉強をしていません。最近は専ら別の事に興味があってそちらの勉強をしています。卒論は真面目に取り組むつもりですが、もはや文学なのか微妙なラインです。周りの友人達は一回生の頃から変わらず真面目に勉強しており、それを見ると少し惨めな気持ちになったりもします。

けれど、私は今のままで良いと思っています。自分のやりたいことをやりたいようにやるという事の大切さを知っているからです。やりたいことはやりたい時にやる、やりたくないことはやらなければならない時までにやればいいのです。

最近、Twitterでやる気のある新入生を見かけました。やる気に満ち溢れていた当時の自分を思わず重ねてしまいます。真面目にやればやるほど打ちのめされることもあると思いますが、自分の心を大切にした上で頑張って欲しいなと思いました。

最後に、書きそびれたのでここで書いておきたいことが一つ。何かの模試の後、「文転、俺はいいと思うで。なんかおもろいやん」と言ってくれた高校のクラスメイトがいました。何気ないこの言葉に、どれほど救われたかわかりません。本人にはまだこの感謝を伝えられていませんが、いつか伝えようと思います。そしてこの長ったらしい思い出話を読んでくれた人がもしいたなら、ありがとうございます。

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