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つい図書館に頼りがち

ホワイトな会社に勤め始めたにも関わらず、二度の休職。
こんなに人も制度も優しい会社でも働けないのか、と少々落ち込む。

二度目の休職に入って2週間ちょっと過ぎた。
少しずつ、体を動かせるようにはなってきている。

仕事を全くしないとなると、体調が良い時は膨大に時間がある。
お金はそんなにないのに、だ。
また、体調が良いとは言え体力もまだ体感で5割程度。
余計にできることが限られてくる。

そんな時、元々読書が好きな私は図書館に足を運ぶことが多い。
これはあくまでも私の個人的な感覚だが、売れる本・売りたい本が目につくようにディスプレイされている書店と違って、図書館の蔵書はわりと平等に配置されているように思う(もちろん、書店も好きでよく行くのだが)。
だからこそ、自分が今求めている本・心惹かれる本に出会えた時になんとなく運命的なときめきも感じるのだ。

よく読むのは小説だ。
主人公や登場人物(時には動物)の感情の動きに思いを馳せるのは、シンプルに楽しいし時には「自分ならどうだろうか」と考えさせられることもある。

休職中の今、私が図書館に足を運ぶ動機は「読書をしたい」という欲求だけではない。
社会復帰後の自分の道を探すために、なんとなく図書館を頼っている。
(どう探したらいいのかがわかっていないので、本当に「なんとなく」だ。)

ずらっと並ぶ書籍たちのタイトルから、自分のヒントになるような心の趣くワードはないかと、ぐるぐる歩きながら探す。
でも大抵はひとしきり歩き回ったら満足してしまうのだが。

そんな中で一つの真実に気づく。

私の知りたい答えは図書館をどれだけ巡ってもないのだ!!!!!

(急にびっくりマークの連打、失礼。私自身にとってはそれくらい衝撃の事実だったのだ。)

自分に近い境遇を抱えた登場人物の小説を見つけたって、同じ年齢のエッセイストの本を見つけたって、「うつ」に詳しい本を見つけたって、それを書いた人はどれも自分ではないからだ。
あくまでもヒントをもらうこと止まりだろう。

書籍にもネットにも載っていない、自分のこれからの道。
それらは、自分の思考や行動から分かってくることなのかもしれないな…とふと気がついた。

たとえば、考えをメモに書き出して整理したり。
やってみたいと思っていることに挑戦してみたり。
挑戦してみた結果について振り返ってみたり。

思考し、行動することで色々見えてくるのかもしれない。(確証はないけれど…)

でもまずは自分の心身の調子を、色々と行動できる状態に持っていくことが先決だろう。


うーむ……やはり結論としては元気にならないといけないんだなぁ、、、とまた途方に暮れるのであった。

ま、ゆっくり焦らずやってこ〜。そうしよ〜。


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