何も持たないリーダーシップ
夕方、息子と散歩をしていたら近所の家の灯りがついているところが少ないなぁと感じた。
夕方の晩御飯に近い時間。勿論両親が働いていることもあるだろう。でも子供も少ないように思える雰囲気。
1つだけ明るく光る建物がある。
公文だ。沢山の子供たちが通ってる。この時間でも。
そう言えば驚いたことがある。娘が小学校に上がった時、同級生が沢山習い事をしていること。
多い子では週に4日とか5日ぐらい習い事をしている。
今の親って割と裕福であるのか、それとも自身の子供の時を振り返ってか、子供がしたい習い事をさせている。送り迎えも苦にならないようだ。
別にそれは良いことなのだけど、そうやって習い事をして何を目指しているのか。
会社で苦労してる親や学歴に阻まれた親は勉強が出来ないと社会では通用しないんだと思ってさせているのかもしれない。
若しくはピアノとかプログラミングとかを習わせてる親は、一芸を身に付ける必要があるんだと思ってるのかもしれない。
要するに、両者も個のスキルを身に付けさせたいんだ。個で秀でることがこれからの時代を勝ち得るんだ。そう思ってるのかもしれない。
そうだとしたら、なんだかちょっと寂しい。個が秀でれば良い社会。それで周りと協調できるのか。昨今ですら、協調できなくなっているように思える。
だからこれからの時代に求められるのは、その個たちをまとめあげる力ではないか。
それはリーダーシップなのかもしれない。リーダーシップは教えてもらって身に付くものでもないと思う。生まれもっての要素が大きい。
1つだけリーダーシップを身に付ける方法がある。
『何も持たないこと』
何も持たない自分を自覚すること。自分が何も持たないゆえに、持っている人に頼る。持ってる人を使う。
それはプライドは邪魔することかもしれない。でもそれが実は効率が良かったりする。
何も持たなくても、秀でることは出来る
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