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冬の比叡山延暦寺へ 東塔地域編

そんなわけで、ケーブル延暦寺駅から、まずは東塔地域を巡るの回です。
京都駅から延暦寺までの経路(冬編)は以下をご覧ください。


比叡山延暦寺全体図はこちら。

ケーブル延暦寺駅からメインエリアへ

延暦寺駅もレトロで懐かしい建物でした。日本一の長さのケーブルでも標高はそれほどでもありません。


ただやっぱり山の上。積雪も多ければ雪もちらつく、いかにも「冬の比叡山」のイメージどおりです。駅からメインエリアまでは徒歩10分弱。辿り着いた巡拝受付で1000円を払って入山、もらったチケットは西塔の受付でも見せればそのまま入れます。

東塔地区

東塔地区は延暦寺の中心で、根本中堂や大講堂など主要な堂塔が集まるところです。小さいお土産屋さんがあり、ちょっとしたお茶がいただけたり、一隅会館の地下にはお蕎麦屋さんも。地区の中にある延暦寺会館は宿泊やお食事、座禅や写経体験もできたりします。(私は行きませんでしたが)

何よりも受付をすぎて一番最初に目に入るのが駐車場に停められた消防車。
やっぱりあの焼き討ちの記憶が・・・。
と、にわかに想像させられたのてすが、調べてみると、参拝客を守るために延暦寺自らが自警消防団を組織しているとのこと。

延暦寺は1942年に横川地域で落雷による落雷によるで中堂消失が、1956年には東塔地域で火災があったそうで、そうなった場合、麓の消防署が緊急走行で駆け付けてもとても間に合わない距離。なので1981年から本格的な防火防災設備の整備が始まったのだそうです。素晴らしい地域防災の取り組みです!

(参考 消防車も完備 比叡山延暦寺の徹底した消防設備)

ではここから順に東塔地域を巡っていきたいと思います。

何はともあれ根本中堂

前情報で知ってはいたのですが、やっぱり工事中・・・。白い無機質な建物に「根本中堂」とお習字の手本のような垂れ幕が。しかし、近づいてみるとその建物は意外なデカさ。中に入ってみますと、通路は工事現場のような感じではありますが、まず右手にお守り授け所があり、そのまま進んで靴を脱いで本堂へ入ることができます。ここから先はお寺の中。

とても広く、奥の中心にご本尊の薬師如来が、その前に1200年も灯り続けているという「不滅の法灯」を見ることができます。1200年ってアナタ、ナクヨウグイス平安京のあたりじゃないですか。(最澄が創建したのは788年)。そういえば広島の弥山にも「消えずの火」があったなと調べてみると、こちらも1200年でした。そちらは空海。最澄と空海って、歴史の教科書にはセットで書かれていて、ほぼ同時代に遣唐使として仏教を学んできて、帰国後に真言宗と天台宗を布教したと覚えています。お二方とも同じ時期に火を灯し、それが今も消えていないとは。嗚呼ロマン。はからずも最澄空海の炎シリーズをコンプリートできたのがちょっと嬉しい。
ちなみにご本尊のいらっしゃる前に、座れるエリアがあるのですが、そこにはあったかホットカーペットが敷かれています。尻が冷たくならない、仏様の御心を感じます。

文殊楼、大黒堂

根本中堂に背を向けたところに階段があり、そこを登り切ると文殊楼があります。

延暦寺の山門にあたるという。ここも1668年に焼けているそう。本当にお寺建築って焼失再建の話が多いですね。
比叡山とは関係ないですが、創業1500年という脅威の歴史を持つ「株式会社金剛組(創始者は聖徳太子、マジで)は、四天王寺が戦乱のたびに火災で燃えて修復したので50年に一度大きな仕事があったことで続いているそうです。法隆寺に対しても同じく聖徳太子がゼネコンを作ったけれど、法隆寺は幸いなことに火災から逃れられていたからその会社はなくなったと、荒俣先生が語る記事(下部参考)を読んだことがあります。燃えないに越したことはないですが、災害と経済は復興という意味で切り離せない関係であるということですね。

文殊楼から下ると、そこには大黒堂が。

日本の大黒天信仰発祥の地とのこと。ご本尊はいつも見慣れている、七福神の絵にある親しみ深い朗らかな大黒様とちょっと様相が異なる。大黒天と毘沙門天と弁財天が一体化した姿をしています。これまさに三位一体、強力そうだし、なんだかありかたみも三倍に思えます。

商売繁盛のご利益が得られるとのことで、多くの人が熱心にお参りしてました。その日は延暦寺自体に人が少ない印象だったのですが、大黒堂は狭いこともあり、こんなにいたんかい、と思うくらい次々とお参りの方がいました。

チベット文化のある各地でよく見かけた、名付けて「スーパー読経効率化ツール」マニ車がありました。中にお経が仕込んであり、これを回すだけでお経をたくさん唱えたことになるそうです。時短ツールの極み。もちろん盛大にゴロゴロやってきました。

鐘楼と大講堂、戒壇院

東塔地区のラスボスともいうべき東塔へ向かう途中、威厳ある赤い柱に囲まれた鐘楼があります。お寺の鐘は大晦日にゴーンというイメージですが、そういや最近ご無沙汰していると思い、久しぶりに突いてみることにしました。思い切りよくゴーンとついてみると、なんとも空気を通して気持ち良い振動が身体に伝わる感覚が。鐘つきってこんなに快感感じるものだっけ! とちょっと感動。これに味をしめて、この後の京都旅ではあらゆるところで見つけると突いてみたのですが、鐘のつくりなのか、やっぱりこの延暦寺が最高でした。ちょっとね、これには本当に感動してしまいました。これから訪れる方、鐘つきはマストです。

どーんと鎮座する大講堂。ここも一度焼けているそうです。自警消防団の重要性をまたここでも感じます。

その先の戒壇院は、立地上少し見逃しがちなところにあるからか、閑散としていました。ここは天台宗の正式な僧侶になるための儀式をするお堂とのことで、僧侶にとっても中に入れるのは一生に一度なのだそう。2021年に特別拝観があったそうですが、もう二度と開けないかもしれないんだそうです。
これだけ世界かのあらゆるところが立ち入れるようになってきた昨今でも、宗教、政治、民族の慣習で、自由に訪れることがままならない場所はあるものです。お寺や神社のこういった場所が、我々の日常からすると、最も身近で最も遠いところなのかもしれません。

阿弥陀堂と東塔、それはまるでラスボスのような

というわけで、東塔地区のクライマックスというかラスボスというか、最も奥に位置する阿弥陀堂と東塔にやってきました。どちらも荘厳さが滲み出る上品な赤い建物で、ふたつは横につながっています。少し坂を登っていることもあり、冷たい空気がまたその特別な雰囲気を盛り上げています。いやほんと、今は道が整備されて歩きやすくなっているけれど、かつては山道だったでしょうに、こんな山奥によくぞ造り開いたものだなと思ってしまいます。私はかつてアジアの国を旅するのが好きでしたが、経済的・社会的に厳しいと言われる国では、神さまを信じることが支えになるよなそりゃと思うことが少なくなかった。日本もかつての歴史の中で、山奥を切り開き、智慧と人力を集めて建築し、そこに僧が修行したことに思いを馳せると、そうすることが必然だった時があったのだなあと感じます。
いやほんと、ここまで足を運べて、色々なものを見て感じて、旅ができてよかったなと思う瞬間でした。


さて、通常は東塔地区から西塔地区や横川地区にはシャトルバスが運行していますが、冬季はそれも運休。なのて西塔地区には徒歩で向かいます。それはまた次回。

比叡山延暦寺
参考 : 平凡社別冊太陽「日出処の天子 古代飛鳥への旅」

ご覧いただきありがとうごさいます。旅と登山と散歩の記録をコツコツと書き続けていきます。