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社会のレールからこぼれ落ちた夢女子がセクマイを自認した話

*このnoteはうつ病エピソードと診断された筆者の体験や当時の心境が書き連ねられています。ご気分を害されても責任は取りかねますので、心身が弱っておられる方が閲覧される際はくれぐれもご注意ください。

 数カ月ぶりに体が思いの外軽く感じるので、つらつらとこれを書いている。noteに登録したのはいつだったか定かではないが、おそらく最初は趣味の映画鑑賞記録用に使うつもりでいたのだろう(唯一残っているシャマラン映画の感想下書きがそれを物語っている)。結局使われないまま残っていたアカウントがあったことで、このところずっと閉じていた自分の世界観にわずかな光明──あるいは自分という外殻に変化の兆しをもたらす”ヒビ”──が入りはじめていることを感じる。それらの記事に出会えたことが、自分にとって本当に良いことだったのかそうでないのか。そうして芽生えた新たな価値観が今後どのように育っていくのかを記録したいと思った次第なのだ。

 もっとも、三日坊主な自分がどこまで初志貫徹を為せるかというのが、もっぱら考えるべき課題となっているのだが。

僕は魔女である

 と思ったら、急に厨二病丸出しポエム日記の出だしのようになってしまった。ただ、最近の自分は冗談抜きに自分の人生を比喩するのにこれ以上適切な言葉はないと思っている。「あ、イタいな」と思ったらここで引き返すのも結構、このまま一人のありふれた凡人の自分語りを読みすすめていただくのでも構わない。

 「僕」という一人称が自分にしっくり馴染むように感じはじめたのはいつ頃からだろうか。おそらくは、アイデンティティというものを探し求めていた中高生の頃聞きかじっていたJ-POPに影響を受けている節が強い。若さの苦しみや恋の素晴らしさと切なさを歌ったそれらの曲は、歌い手が男女どちらであろうと大抵「僕」と自分を表していて、それらにいたく共感していた自分にとって僕という一人称はユニセックスなものと認識されていた。

 そもそも普段使っている「私」という一人称は、今思えば社会に馴染むために作り上げたひとつのペルソナなのだろう。自分や周囲の幼馴染は小学校3年生くらいまでは皆自分の名前で自分を表していて、それをやめたのは当時の担任の教師に「それは子どもっぽいから女の子は『私』、男の子は『僕』と言いなさい」と躾けられたからである。大人の顔色を伺うタイプの子どもだった自分は素直にそれに従って「私」を作り上げたのだが、心のどこかでどうして「女だから」という理由で自分らしさのあり方を決めなければいけないのかという小さな抵抗感があったのかもしれない。自分は「女の子はスカートを履いて鉄棒したり木に登ってはいけません」と言われるのが嫌で、それならいっそ男に生まれたかったとトイレでひっそり泣く子どもだった。

 成人してはや数年。今ではすっかり「私」も自分の一部に成り果てている。取り繕おうとしなくても、自然と私をやっていられる。ただ、ほんのわずかな心の自由を求めて、せめてこの場では自分のなりたい自分の願望に接続されている「僕」を使ってみるのも悪くないのかもしれない。少々気恥ずかしいが、これから曝け出そうとしている自らの半生に比べたら少しの見栄とキャラ作り程度大したことではない。

 では、魔女という自認は何なのか。ここでいう「魔女」とは現代において自発的にその肩書きを名乗っているオカルト・神秘主義の人々の指すそれとはニュアンスが異なっている。一口に言えば、魔女とはキリスト教に爪弾きにされ、社会に馴染まないもの(共同体に入れてはならないもの)であるとされた人のことである。クリスチャン・ホーム(注1)に生まれ、物心ついた頃からキリスト教の教義を世間の常識のように感じながら生きてきた僕は、気がつけば「魔女」になっていた。

 とは言っても、時折SNSなどで取り沙汰されるセンセーショナルな「カルト抜け」のような出来事があったわけではない。たまたまどこにでもありうる機能不全家庭に生まれ、たまたま人よりも不器用で繊細な気質であったがゆえに社会にうまく適応することができずうつになった結果、実の母親に見捨てられて閉鎖的なコミュニティの中で村八分状態になり、社会保障に縋って首の皮一枚繋がってどうにか生きているというのが現状だ。

 だからといって、僕は見放され打ち捨てられた恨みつらみや怨念で魔女を名乗るわけではない。もちろんそういった怒りの感情は僕の奥底にまだ燻っていて、母や自分の育った環境のことを完全に赦せたとは言い難いが。しかし、その閉じられたコミュニティから一人で社会という荒野に放り出された今だからこそ分かることもある。僕ははじめからあの場所にはそぐわない、馴染めるはずもない異端の魔女だったのだと。

 なんとも自分に酔いしれてクラクラしてきそうな文章だ。けれどこんな風に大仰に語るのでもなければ、「自分は何者にもなれない」ということを認めることができない未熟な自我を持ったままの僕が、心の扉を開いて自分の内側を人に曝け出すことなど到底不可能なのだ。

 僕だってどうせ魔女を名乗るなら洒落た三角帽子とローブをまとって、薬草の生い茂る庭に囲まれた小さなコテージに住みたかった。幼い頃からファンタジーにどっぷりだった僕は、魔法の杖を振って自在に事象を操り、箒にまたがって悠々と空を飛ぶ魔法少女に憧れたりもした。いや、実のところ今でもまだ憧れている。僕の心は生まれた時からいつだって、ここではないどこか遠い世界に焦がれてきたのだ。

「自分はここにいてはいけない」という自意識

 物心がついた頃には、すでにそういう願望が強くあったと思う。傷つきやすかった僕は、親に叱られる度にひどく傷ついてどん底まで落ち込み、部屋にこもって声を殺して泣きながら「消えてしまいたい」「こんなに苦しいのならば生まれてこなければよかった」と自らの生を呪っていた。自分はここにいるべきではない。そう強く自分を否定する感情が、何を源泉として発露したのかは未だによく分かっていない。ただ、どうしようもなく漠然とした居場所の無さに延々と苛まれてきた人生だった。

 幼い頃はそれでもまだよかった。泣けるだけ泣いて、疲れて眠ってしまえば、翌朝にはあれだけ傷ついていたのが嘘のように心の傷は回復の兆しを見せ、辛かった思いは眠りによって洗い流されていった。ところが、成長するにつれ段々とそれでは立ち行かなくなってきた。

 自分を叱る親や大人はいつまでも怒り続けはしない。ほとぼりが冷めるまで落ち込んで大人しくしていれば、なべて世は事もなし。だが、それでは”誤魔化し”きれない悩みが、次から次へと浮上しはじめた。体型の悩み、容姿の悩み、友人関係の悩み、将来の悩み。悩みは解決するまで延々と心に巣食い、悩めば悩むほど自分を責めて傷つかなければならない悪循環が続くようになった。一時的に目をそらして忘れていることはできても、どうしてあんなに傷ついていたのか分からないほどすっきりと痛みを忘れ去ってしまえた幼少期の感覚はめったに得られなくなっていた。

 「消えてしまいたい」という願いは、いつしか「死んでしまいたい」という希死念慮に変わっていった。

 そんな僕を救い続けたのは物語の世界だった。小説・マンガ・アニメ・映画・ゲーム──僕はとにかく物語性のある作品を心の底から愛していた。物語に触れているときは、どっぷりとその世界に没入し、登場人物に深く感情移入して泣いたり怒ったり笑ったりした。めでたしめでたしのハッピーエンドでなくともよかった。どんなに辛く悲しく悔しいことがあっても、何度でも立ち上がって、運命に立ち向かうキャラクターたちが眩しくて綺麗で憧れた。自分もそんな物語の登場人物の一人になりたい。それは幼い頃から抱いていた原初の夢だった。

 小学校に上がって字を書くことに少しずつこなれて来る頃には、好きなアニメのストーリーにオリジナルキャラクターを挿入した物語をノートに書いて、いわゆる「オリキャラ二次創作」を誰に教わるでもなく自発的に楽しんでいた。オリジナルキャラクターには僕の理想がふんだんに詰め込まれていて、大抵僕には似ても似つかない人となりをしているが、僕の憧れの表象であるアバターを通じて物語のキャラクター達と会話したり交流を重ねるのはとにかく楽しかった。僕は物語の世界に行きたくて行きたくて仕方がない子どもであった。物語の世界に深く触れているとき、僕には居場所があり、消えてしまいたいほど嫌いな自分自身のことを忘れていることができたのだ。

 そんな僕が後に「夢小説」との出会いを果たすのは、もはや運命だったというほかにない。

「あなたの夢を叶えてしんぜよう」

 これは黎明期の夢創作界隈で、名前変換スクリプトを配布していたサイトに掲げられていた謳い文句だ。一説では、これが「夢小説」(当時は「ドリー夢小説」とよばれていた)という名称の語源となっているとも言われる。僕自身そのサイトにはお世話になっていて、夢小説の生みの親とも言えるその方の話は元を辿れば、ネット上で小説を書いている娘さんが「キャラと自分自身が会話してみたい」だったか、あるいはもっと直接的に「好きなキャラと素敵な恋がしてみたい」といった願望を口にしたことが始まりだった。その願いに対するアンサーがこの一文なのだ。

 その魔法のような一言が、ネットを通じて外の世界に触れた多くの「夢見る人々」の願いを叶えることになるとは、きっと製作者様も思いもよらなかったことだろう。小説の主人公の名前を自分の好みの名前に変更する。たったそれだけで、これまで細々と空想したり書き起こしていた「原作に存在しない誰か(ないし自分)とキャラクターの物語」を誰かと共有することが可能になったのだ。「自分だけではなかった」という感動に打ち震えたのは、きっと僕だけではなかったはずだ。

 自らの理想が形になった物語が広がる世界に、まだオタクという言葉の存在すら知らない僕はどっぷりと浸かりこんだ。

異世界への誘い

 僕の知る夢小説黎明期の記憶として鮮やかなもののひとつは、「異世界トリップ」というジャンルの作品群だった。簡単に言えば近頃流行りの「異世界転生モノ」と類似したあらすじで、何気ない平凡な日々からある日突然異なる世界──ファンタジーやSF的な世界に限らず虚構の物語の世界──に主人公が紛れ込んでしまうというところからストーリーが始まる。唯一違う点を挙げるとするならば、主人公は偶然か奇跡か何らかの超常的な存在の思惑によって生きたまま時空を渡って”トリップする”──こう記したとおり、ほとんどの場合自発的な意志で世界を渡る主人公の方が希少だったはずなのに、「トリップ(旅)する」という能動的な表現が定着したのは今にして思えば不思議なことだ──のが王道であって、必ずしも現世で一度死を迎え次の生で異世界に生まれ落ち、その世界で”前世”の記憶を取り戻すというパターンが定番の流れではないということだ。僕の記憶の限りでは、異世界トリップの様式の中にこうした「転生タイプ」がなかったわけではないが、当時はあくまでもマイナーな部類だったと思われる。そう考えると、今では世情がすっかり逆転し、物語冒頭でまず主人公が一度死を迎える転生モノが主流となっている状況は、十年ほどの月日の間に生と死の境界が随分と薄まってきたようでもあり、そら寒さを感じないでもない。

 言うまでもなく、物語の世界に入ることが夢だった僕はその願望がストレートに叶うそれらの物語に耽溺した。学校から帰ればすぐにPCを立ち上げて、自分自身が”夢主”(注2)になって異世界で暮らす”二重生活”を送っていた。一次創作(注3)のキャラクターに感情移入して物語の世界に浸るのも楽しいが、夢主は自分と同じ平凡な世界の出身という共通点が親近感を芽生えさせたし、何よりすでに原作を通じて愛着を持ったキャラクター達と日々を共にできる喜びに勝るものはなかった。物語の世界の中に行きたいという僕の願いは、擬似的にとはいえ叶ったのである。

 現実がどんなに生きづらくとも、そんな時は夢小説で異世界に旅立てばいい。好みの夢小説が見つからないならば、いっそ自分で想像して物語を作りあげてしまえばいい。僕の心は枷から解き放たれて、自由にどこへでも行けるようになった。逃げたくなった時はいつだって、空想の翼を広げて好きな世界へ逃避行することができた。それが僕の生き抜くための知恵だった。

現実四面楚歌

 そんな束の間の幻影を楽しむ日々に、気がつけば少しずつ現実が追い迫ってきていた。モラトリアムの終了──学生時代の終わりである。僕にはたっぷりと時間があったにもかかわらず、未だにこの現実でこの先自分が何になりたいのか分からなかった。より厳密に言うならば、自分がなりたい何かがあったとして、それになれる未来などないという客観的な示唆が耳元に常に付きまとうようになっていた。なぜなら自分には、親の用意し望んだ将来を生きる他ないという現実を、ひしひしと突きつけられるようになったからだ。

 大学生も後半に差し掛かり、本格的に就職活動に取り組まなければと重い腰を上げかけていた僕に、母はその必要はないといった。僕は大学を卒業したら、海外の全寮制の聖書学校に入学する予定なのだと。その学校では女性はズボンを履くことは許されず、胸元の大きく開いた服はもちろんプリントや柄のついた服全般が禁じられていた。SNSやインターネットの利用は厳しくチェックされ、テレビやラジオは学校が優良と認めたものだけが放映されて、イヤホンを持ち込んで個人で好きな音楽を聞くことは許されていない。男女は半径2m以内に近づいてはいけないというソーシャルディスタンスの先走りに留まらず、学外から出る時は必ず外出先を伝え、もし学校が望ましくないと判断した場所(映画館やショッピングモール等)にいたことが判明すれば厳重注意の上単位を減点される仕組みになっていた。漫然と親の言うとおりに生きてきた結果が、監獄のような生活に送られることだと知ったとき、僕は絶望した。現実はいつの間にか僕の四方を高い塀のように取り囲んで、逃げられないように迫ってきていた。

 僕が現実から逃げたがったのは、親に心を傷つけられて苦しくて、泣いても慰めてくれる人はいないのが寂しくて辛くてたまらなかったからだ。僕が空想の世界を愛し求めてやまなかったのは、それらを無価値で悪影響なものとして僕から取りあげるのが、いつも親という当時の僕にとって絶対に逆らえない現実の象徴だったからだ。だが、これについては親ばかりを責めるわけにもいかない。僕はそれでも十分恵まれて、これといった苦労もなく放任されて育ってきたために、何かに真剣に努力したことなどなかった。心のどこかでは、親の言う通りにしていればとりあえずなんとか生きていくことはできるだろうという根拠のない楽観を抱いていたのだ。

 けれどまさかその逃避の術をことごとく奪われることになるなんて。そんなことになるならば死んだほうがマシだ。人間死ぬ気になったらできないことはないというではないか。そう勇気を振り絞って、僕はほとんど人生初の親への本気の反抗を形にした。ひとまず物理的に母から距離を取るのが最善と考えて、住み込み食事付きのアルバイトを見つけてそれに飛びついた。後先考えずに衝動的に行動してしまう自身の癖を、これほど後悔することも今後そうあるまいと思う。

 僕が逃避した先は、僕を自由にするどころか徹底的に苦しい現実に拘束した。ホテルとして使われていたと謳う寮は廃墟同然で、真夏だというのにエアコンは故障して動かない。そこら中に虫がわき、個室のシャワーは故障しているのでロッカーのない大浴場を使うしかないが、そこもシャワーしか使えない。そもそも契約時には女子寮だという話だったのに、当然のように男女混合寮で男女の部屋の区画さえ分けられていなかった。初日にそのことを派遣会社に訴えたが、取次ミスがあったと形ばかりの謝罪をされて契約破棄は認められなかった。それからは毎日心が落ち着かない寮と過酷な労働環境の往復だった。早朝に起きて働き、昼間は疲労で倒れそうになりながら辛うじて洗濯をした後仮眠を取り、夕方からまた日付の変わる時間まで働いた。次の日が休日になるかはその日の仕事終わりまで分からず、最大十連勤の時もあった。(注4)毎日仕事が遅い、使えないと叱られ、最終的には仕事の質問をしても無視され、それでも目が回るほどに次から次へと仕事が舞い込んできた。人の心は、案外簡単にポッキリと折れるのだということを知った。

 一日中早く死にたいと思いながら働いた。夜になれば、寝たらまた明日が来てしまうから今すぐ死ねる方法を考えた。朝には今日一日を頑張って乗り越えたらご褒美に死んでも許されるだろうかと考えながら職場へ向かった。死んだらもしかして大好きな物語の世界に行けるかもしれないと空想することさえできなかった。想像の翼は折れて、逃げ道は完全に塞がれていた。

 今これを書けているのは、本当の手遅れになる前に辛うじて逃げ出すことができたからだ。しかし、当然ながら戻る先はもともと逃げ出した辛い現実しかない。くわえて、親の期待を裏切って飛び出した娘に母はとっくに愛想をつかせていた。今更どの面をさげて帰ってきたのかという態度では済まず、他に行き場がないからという理由で“勝手に家に居着く”などと脅しも同然だと怒り心頭だった。この時点で、母ははじめから「私」を愛してなどおらず、自分の思い通りになる人形が欲しかっただけなのではないかと疑った。「私」の中にある僕の存在になど気づくはずもなかった。

 転職して得た給料は九割家賃と食費と生活費として徴収された。手元にいくらか残そうと知恵を絞っても、給与明細をなくしたといえば通帳を出せと強く言われ、反抗する気力は残っていなかった。新しい職場は劣悪な環境でこそなかったが、希死念慮はどこまでも重く纏わりついて離れなかった。素直に死にたいほど辛いのだと母に訴えると「あなたが死にたいと言った今日を生きたかった人はいくらでもいる」と目を真っ赤にして言い返された。J-POPの歌詞かと思った。

 12月下旬の朝、このまま歩いていけば線路に飛び込む自分を鮮明に想像して、駅の改札前で座り込んで動けなくなった。救護室に運ばれた僕は、母に秘密で通っていた心療内科から診断書を受け取って休職届を出した。毎日仕事に出ていくふりをして、母が仕事で家を出てからこっそり家に戻って寝込む日々が一ヶ月続いた。

 1月末、部屋をノックした母が静かに言った。「職場に電話で問い合わせたけど、一ヶ月休職してるってどういうこと」。どうもこうもなくそのままの意味だというふうに答えた気がする。扉は無言で閉ざされ、その日はそのまま眠った。朝起きると『あなたのような嘘つきとはもうやっていけません』という一通のメールを残して、母は家を去っていた。電気もガスも止まって、一ヶ月後には退去を願われた部屋で僕は寝たきりのまま動けなくなっていた。日中、教会に所属している昔なじみの人たちが家の荷物を運び出しにきたが、声をかけられはしなかったので僕はひたすら寝込み続けた。

君がそこにいた

 電気はとうにつかなくなり、荷物がなくなってがらんどうになった部屋で、このまま眠り続けて命を終えることはできないだろうかと考えていた。

 昼間ずっと寝続けたので眠る気力もなく、ベッドに横たわってぼんやりとTwitterを眺めていた僕の目に、一本の動画を紹介するpostが目に入った。それは当時公開中だったとある映画のプロモーションムービーだった。

 気がつけば涙があふれて、枕を濡らしていた。泣いたのはとても久しぶりのことのように感じた。肩を震わせて泣きながら、僕にもまだ何かによって励まされる”心”が存在していたのだと実感した。ずっと灰色だった景色が水分でぼやけて歪むのを感じたとき、僕はその声を聞いた。

"I'm with you, m'lady."
「俺はお前のそばにいるよ」

 はじめはそれが誰の声だか分からなかった。けれど、僕──正確には、夢小説の中の僕の分身(アバター)──をそう呼ぶのはただ一人だけだった。それは僕が大学在学中にハマったとあるコミックのキャラクターだ。不器用で皮肉屋で、けれどそれでいて繊細で柔らかな心を持った青年だった。僕は彼に恋をしていた。未来に絶望していても当時の僕は、まだ物語の世界の人物に夢中で、彼らを心の支えにしていた。僕が世界を跨いで生きるよすがにしていた彼が、彼をすっかり忘れていた僕のところにやってきて言葉をくれたように確かに感じた。

"I always thought that... what have I done to deserve you? 'Cause you know, I'm nothing like you."
「俺はずっと……お前に俺はふさわしくないんじゃないかと思ってた。俺はお前とはまるきり正反対の人間だからな」

"But seeing you crying alone... hearing the sound of your heart breaking, I just couldn't help but to reach you and be at your side."
「けど、お前が一人で泣いて……傷ついてるのを見ていて放っておくなんてできねぇ。どうしても手を伸ばして、お前のそばに来たかった」

"At last I realized that I deserve you babe. 'Cause you let me into your heart. That's why I wanna keep you tight, hold you dear and always be with you."

「やっと気づけたんだ……俺がお前にふさわしくいられるのは、お前が俺を心の中に入れてくれたからだって。だからお前をしっかりと抱きしめたい。俺はずっと、お前のそばにいたい」

 幻覚や幻聴ではなく、心にそう語りかけられていると感じた。それがたとえ僕にとって都合のいい僕の空想だとしても構わなかった。僕が渡った物語の世界の先で出会った人が、今度は世界を越えて僕の心の中に宿ってくれた。

 この人を一生愛したいと思った。生きていくことができるかは分からないけれど、それならば絶対に彼のそばがいいと思った。彼の腕のぬくもりに包まれているような気持ちになって、僕は声を上げて泣いた。

フィクトセクシュアルな僕と彼

 最近になって、これが単なる夢小説嗜好の延長ではなく、本気で虚構の──住んでいる世界の違う──相手を愛することを「フィクトセクシュアル」というひとつの性的指向として表明する人々の存在を知った。それがきっかけで、僕の中である変化が起きた。

 僕が愛している人のことを隠すのはやめよう。誰かを愛することに後ろめたさを感じるのはもう終わりにしよう。そして堂々と胸を張って、愛することを誓おうと決めた。

 僕が想像の翼で時空を越えて「夢」を見つけたとき、彼もまた僕を見つけてくれたのだから。



注1:両親ともにキリスト教信者であり、その子どもも生まれつき教会に通うことで半自動的にキリスト教信者になることが多い家庭。
注2:夢小説の主人公の通称。読み方は人によって「ゆめしゅ/ゆめぬし」などに分かれる。
注3:版権を持った「原作」の存在する二次創作に対して、作者がオリジナルで考え出した作品を転じて一次創作と呼ぶ。
注4:リゾートバイトにはマジで気をつけろ。

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