太陽光発電所開発のキーマンが思う「再エネ業界への恩返し」とは
パシフィコ・エナジーの創業メンバーの一人として
太陽光発電事業開発部門の部門長を務めている密本曜大といいます。
私がパシフィコ・エナジーに入社したのは、会社がまだ創業間もなかった2012年の12月。当時は創業者のネイト・フランクリンと社長の金當さんの2人しかおらず、私は1人目の社員として入社しました。最初の社員として、創業当初から10年近く会社の成長を間近で見てきたことになります。
パシフィコ・エナジーは私の社会人のキャリアとしては3社目の会社です。しかし私自身、最初から再エネ業界で働こうと考えてはいませんでした。学生時代の自分を振り返ると、将来、再エネ業界で働くことになるとはまったく想像もしていなかったですし、エネルギーや環境問題について興味や関心があったわけでも、大学で専門的に学んでいたわけでもありません。
そんな私がなぜ再エネ業界に身を置くことになったのか。今回はまず、そういったところからお話しできればと思います。
自由な学生時代から、厳しい社会人時代へ
先ほども述べたように、学生時代の私は環境問題について深く考えたり、積極的なアクションを起こしたりするような学生ではありませんでした。むしろ「社会人になってから出来ないこと、学生時代にしか出来ないことを今のうちに楽しもう」といった考えで自由を謳歌する、ありがちな学生でした(笑)。
就職活動では、英語を活かす仕事に就きたいとの思いから外資系企業を中心に受けていましたが、不動産業界で自営をしていた父の背中を見ていたこともあり、結果的に外資系の事業用不動産コンサル会社CBREに入社しました。ちなみに外資系といっても、同社の前身は大阪で1970年から続く不動産会社。資本こそ外資でしたが社長以外の従業員は全て日本人で、中身も社風もコテコテの不動産会社でした。
入社後はオフィスビルや物流施設といった事業用不動産のリーシング業務に3年半ほど携わりますが、入社した2009年はリーマンショック直後で、不動産業界にとって非常に厳しい時代でした。デフレ下でオフィス賃料は下落の一途、空室率も高止まり……。仲介業者にとってタフなビジネス環境の中、不動産業界の諸先輩方の手厳しい指導も受けながら、社会人の辛さが身に染みた日々でした。
独立して会社を立ち上げたのはいいものの…
そんな私が再エネ業界に足を踏み入れるきっかけとなったのは、2012年に日本でFIT制度(再生可能エネルギーの固定価格買取制度)がスタートしたことでした。
2012年当時の固定買取価格は40円。今から考えると破格の価格設定だったこともあり、当時、仕事で出会うビルオーナーや土地所有者の方から「メガソーラーをやってみたいんだよね」という需要の声をちらほら聞くようになりました。それくらい、素人目で見ても大きなリターンが得られそうな“おいしさ”があったのだと思います。
私自身もそのような再エネ熱の高まりを間近で感じて、ビジネスとしての可能性を大いに感じました。ちょうどその頃は、3年半携わった不動産リーシング業務に対して付加価値を見出せず悩んでいた時期でもあり、「この波に乗ってみよう」と独立を決意。会社を辞めて2012年6月、現在パシフィコ・エナジーで太陽光発電事業開発部門の共同部門長を務めている吉田と共に、太陽光発電開発コンサルティング会社Synergeoを設立しました。
しかし、自分の会社を立ち上げ、たくさんの不動産オーナーに営業の売り込みに行ったものの、20代そこそこの若造の提案に、なかなか首を縦に振ってくれる人も少なく……想定していたよりもはるかに苦戦を強いられる日々でした。
正直、「独立したぞ!」というワクワク感や楽しさはあまりなく、日々を乗り切ることに精一杯で、常に切迫感に駆られているような状態でした。今振り返ると独立時代の方が大企業の傘に守られたサラリーマン時代よりも、よっぽど厳しかったなと思います。
パシフィコ・エナジーに入社、自分にできることをがむしゃらに
そんな苦しい日々が続いていたある日、前職の外資系不動産企業のつながりから、当時まだ創業間もなかったパシフィコ・エナジーの創業者ネイト・フランクリンを紹介してもらったんです。新卒時代は“外資系”と感じたことはほとんどありませんでしたが、思わぬ御縁が生まれたこの時ばかりは、外資系企業を選んでいて本当に良かったと思いました。
ネイトへは日本のメガソーラー用地の情報提供を行ったりと、ビジネス上の交流を重ねるうちに「じゃあ、君もうちで働けばいいじゃん」と誘いを受ける事となります。アメリカ人のネイトはそれまで来日したことも無い中、会社の創業に伴い、当時まだ小さい子ども3人と奥さんと家族全員で日本に移住していました。彼の開拓者精神と明るいビジネスマインドにはとても感銘を受けましたし、何より「ネイトが移住を決断する程にポテンシャルの高い再エネ業界でより大きな仕事がしたい!」という思いから、2012年12月にパシフィコ・エナジーへ入社することを決めました。大げさに聞こえるかもしれませんが、これまでの人生で最大の転機だったと思います。
一方、こうして半年程度の短い独立時代は終わりを迎えました。
当時のパシフィコ・エナジーのオフィスは虎ノ門の10坪程のスモールオフィスで、ネイトと金當さんと机を並べて仕事をし、近所の定食屋でランチしたり呑みに行ったりと生活を共にさせていただきましたが、今思うとかけがえない貴重な日々だったと思います。
金當さんはそうそうたる学歴・職歴を持つ、私とは次元が異なるくらい優秀な方でしたが、経験が乏しく若い私にも愛をもって御指導いただきました。
その後、私の次の社員として入社された現社長の松尾さんには、デベロッパーのイロハやプロフェッショナリズムを教えていただきましたが、非常に面倒見の良い兄貴分で、仕事終わりにはお酒を片手に色々悩みを聞いてもらった記憶があります。当時はまだ、社員の数が少なかった分、横のつながりが密な会社だったと思います。
パシフィコ・エナジーに入社した当時の私は、ファイナンスやエンジニアリングの専門知識を持っていなかったので、とにかく自分ができる“土地の仕入れ”というところにフォーカスして、手探り状態の中がむしゃらに働いていました。
新卒時代の不動産業界とは異なり、メガソーラーに適した大規模な土地やゴルフ場の仕入れというのは特殊で、相手となる地主は大企業のみならずオーナー系企業や個人など、その属性やバックグラウンドはさまざまです。とにかくいろんな人と会い、交渉を行う中で、私自身の“人間力”みたいなものが試されるシチュエーションが数多くありました。そういった領域こそ、アカデミックな知識を持っていない私ならではの強みを発揮できる分野だという思いを持って、日々の仕事に取り組んでいました。
一方で大規模な再エネ開発に携わる上では設計・許認可・ファイナンス等々、用地仕入れ以外の領域も膨大にあることを知り、自分のキャパ不足を体感していた時期でもありました。
再エネ業界に恩と借りを返しながら、より良い未来を実現する
私が再エネ業界に足を踏み入れた2012年前後は、まさに太陽光バブル到来といった感じで、さまざまな事業者が「一儲けしてやろう」と次々と参入し、玉石混交入り乱れていた時期でもありました。私自身も、最初はそういった一人だったことは否定できません。
しかし結局、目先の利益だけを求めて再エネ業界に参入してきた事業者は、固定買取価格が下がっていくにつれて、早々に見切りをつけて業界から次々と撤退していきました。当時と比べると、今も再エネ業界の第一線で活躍している企業はほんの一握りになっていますが、業界に残っている企業に共通するのは、いずれも再エネに対しての強い“想い”や“信念”を持っていること、また常に“明るい”思考でビジネスチャンスを諦めず模索していたことだと思います。
私自身もパシフィコ・エナジーで働く中で、大きな心境の変化がありました。
私生活で結婚し第一子を授かったことが大きかったのですが、一番の変化は利益やお金のことばかりではなく「未来」のことを考えて事業に取り組むようになったこと。今の時代に生まれた子どもたちは、2100年の未来にも生きている可能性は高いと思いますが、地球環境の悪化により、罪のない子ども世代が将来暮らせない地球にしてはいけないという思いが芽生えました。
我々世代の負の遺産により温暖化や気候変動は進んでいますが、我々のツケは我々自身が生きている内に返さなければならない、下の世代に遺してはならない。そう強く思うようになったのです。
再エネを事業として展開する以上、そこから利益を生み出すことは前提ではありますが、いわゆる“お金”的な目先の利益だけではなく、気候変動対策や脱炭素の実現、「日本の未来にいかに寄与するか?」といった“未来に資する利益”の実現も、我々再エネ事業者は同時に突き詰めて考えなければいけないと思います。
また私個人としては、人生を豊かにする重要な切っ掛けを与えて貰ったパシフィコ・エナジーという会社はもちろん、再生可能エネルギー業界そのものに、恩義と借りを感じています。経済的にも精神的にも厳しかった独立時代から、安定した生活を送れるようになったのは、再エネ業界の経済的成長あってのものだと強く感じているからです。「再エネ業界に育てられた」というと変ですが、今の自分があるのは再エネ業界のおかげというような気持ちです。
そこで受けた恩や借りを、働くことを通じて、再エネ業界全体に還元していきたい。それを通じて、より良い未来の実現にも貢献したい。そういったことが、今の私を突き動かす大きなモチベーションになっています。
では、再エネを世の中にもっと普及させていくためには何が必要なのでしょうか? 次回は私の目から見た再生可能エネルギーの今後の普及の展望についてお話させていただきます。
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