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パチ屋のおじさんが起死回生の景品を獲得した話

マイジャグラーでBIG、胃で食べ物。2つを消化した私の脳は、完全なる排便の司令を下し、完全なる便意をもよおし、トイレへ立たざるを得なくなっていた。

トイレにて。

ひとりの男と出会う。
彼は白髪混じりの角刈りで、ひどく汚れた眼鏡。薄汚れた作業着をだらしなく着込んで、勢いよく痰を吐き出した。
ぺチャっと男性用便器から不快音。

彼は完全におっさんだった。

おっさんは、誰しもなりたくておっさんになるわけではない。
うどんや和菓子が、年追うごとに好きになるよう、ジャグラーや海物語も年追うごとに好きになる。
味覚も筐体も科学的根拠のもと、おっさん化していくのである。
それは自然の摂理であり、なかなか避けては通れない。

バジキッズや、こぜ6少年のような若者からすれば、愚かな生き物に見えるかもしれない。

だが彼は違う。

抱えた景品袋の中に、お菓子に紛れて見えるはトミカ。子供、はたまた孫へのプレゼントか。
それはひと際異彩を放ち、やわらかな光に包まれてさえ見えた。
彼は、仕事、結婚、育児、ローン返済などの強敵から放たれる、ストレスという名の銃弾を避け、時には打ち込まれて、それでも立ち上がり続けてきた。
にも関わらず、癒しを求めにやってきたパチンコにさえ、煮え湯を飲まされることも少なくない。

今日、おそらく彼はオアシスにたどり着いた。
袋一杯の景品。痰切れも良さげ。目じりのシワは幸せの数。
彼は今日勝った。

おっさんという生き物は「勝つ」という喜びを独占しない。
守るべきものがあるということは、重い責任がある反面、喜びを分かち合う幸せがある。

だから、今日だけは、そのトミカで子供の笑顔を。
そして、おっさんも笑ってくれ。

明日は月曜日だ。

彼はまた戦地へ赴くだろう。

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