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「弱さ」はなく、強さと個性がある

「あなたの息子さんは、最後のときまで勇敢に戦いました」と伝えてくれる記録係がいるからこそ、兵士たちは逃げ出さずに最後まで戦える。
-- そんな話を昔聞いたことがあります。本当かどうかは知りません。でも、おれにはとてもありそうな話に聞こえます。

言葉にするのが好きだったり得意だったりする人ばかりじゃない中で、そこに情熱だったり面白みを感じるのは自分の特性の1つなんだと思う。
悔しいけど、自分が「名手」じゃないことは分かっている。でもなかなかいい言葉を、ときどきだけど見つけ出すことがあるのも知っている。

そしておれは、そんなふうに、言葉で誰かを応援できたときの自分が大好きなのだ。
そこで頑張っている人と、おれの中のどこかが、重なり合ったような気持ちがするから。その人の力の一部になれたような気がするから。

みんなにみんな自身でいてほしい

おれはこれまで、ざっくり10年周期くらいで活動する場が変わっているのだけど(これは意識的ではなくて、振り返ってみるとそうなっている感じ。)、数年前から人について書く機会がとても増えていて、それが自分にしっくりきている。

それまでは自分のことを語ったり書くことが多かったんだけど、どうやら少しずつ変化してきたみたい。
背景には、「自分の活動をスケールさせたい」だったり、「スケールしていくムーブメントの一部になりたい」みたいな気持ちが、昔のようには湧いてこなくなってるってことがあるのかも。
もっと「おれ自身が自分自身でありたい」だったり、「周りの人たちに彼ら自身でいて欲しい」っていう気持ちが強くなってきているような気もする。

…これはまだ全然うまく言葉にできないんだけど、メモ的に残しておきたい。

「弱さ」ではなく強さと個性

どこにでも誰にでも違いや差があって、その違いや差は「個人の弱さ」にズル賢く潜り込んできては分断を生みだし、それを大きくしようとしていく。
でも本当は、個人に「弱さ」なんてなくて、そこにあるのは「強さと個性」だけなんじゃないか。
「弱さ」だと自覚すればそれは弱さになるけれど、「個性」だと自覚すればあとはそれをどう生かすかだ。個性の出しどころや、個性が通用しない状況を意識すればよい(「ああ、今はこの個性を役立たせる場面じゃないな」って)。

そんなふうに強さと個性で暮らしていくためには「自立心」が必要で、自立心には自己効力感と自己肯定感の2つから成る幸福感が必要なんじゃないか。
そして自己効力感と自己肯定感の大きなエネルギー源は、自分自身を愛おしいと感じられたり、自分自身を誇らしいって思える経験や場面なんじゃないだろうか。

幸せな人生を送る基礎中の基礎は自分を愛せること。
それには弱さも含めて、いや弱さを個性として自分自身を理解して、受け入れること。

だからおれは、人が自分自身に愛おしさや誇らしさを感じる場面を増やしていきたいし、それをより強くするような演出をしたいし、言葉にして記録したい。

だって、それがおれに愛おしさや誇らしさを感じさせてくれることでもあるから。
おれは冬のフォルケで一緒に過ごしたみんなの記者になりたい。

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