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『永遠と横道世之介』を読んだ

物語の多くは、以下のいずれかに属すると思う。

  • 何かしらの結末(例えば、「事件を解決する」とか)を目指す過程を描く物語

  • 何かしらの概念(例えば「生きるとはどういうことか」とか)に言及する物語

  • 実在の人物や事件をテーマとして、その内実やインサイトを描く物語

けど、この『永遠と横道世之介』という物語、および同シリーズ過去二作というのは、「横道世之介」という主人公の「人となり」をテーマとして描かれている。特定の架空の人物、それも、これといって突出した特徴を持たない普通の人間を描いている。

こんな物語はたいていの場合、つまらないか、読んでいて飽きてしまうことが多いのだが、この『横道世之介』シリーズにはそれがない。何の変哲もない凡庸な男が、平凡な日常を過ごすだけなので、大きなドラマや事件もない。にもかかわらず、なぜか読み飽きることなくスイスイと読み進んでしまうのがとても不思議だ。
それこそ、吉田修一の文筆力のたまものというか、表現の巧さを感じずにはいられないものでもある。

もちろん、一つの作品としての山場もある。それがタイトルに「永遠と」と付加された意味でもあるわけだが、エバと咲子ちゃんのエピソードについては、今や子を持つ親たる自分としては少々泣きそうになってしまう面もあった。

さて、先程「人となりをテーマ」と書きはしたが、本作の終盤にいたり、一つのテーマが、強く主張されることなく表現されている。「永遠とはなにか」そこに対して、横道世之介という登場人物の人柄を通じてぼんやりと語られる。それは明確な主張ではなく、なんとなく一日一日の積み重ねの中で、多からず輝くような一日があり、それが思い出として昇華されていくさまが語られる。

僕は吉田修一のファンなので、彼の作品は単行本として刊行されているものはすべて読んでいるが、ある種のこの語り口というのが吉田修一らしさとも言えると思っている。初期の『日曜日たち』や『春、バーニーズで』のような作品とも通底するような。

そんな具合で、書評的な話じゃなく、備忘的な読了記録なので、この程度でやめとく。

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