家族が余命宣告をされたら。

「あなたは大事な家族が余命宣告をされたら、本人に伝えますか?」
こういう、よくある問いに、まさか自分が当事者になる日が来るとは。

私はもともと生命倫理に興味があってそれを学びたくて社会学部に入り、ゼミもそういうことができるゼミに入った。
いろんな本を読んだり、記事を読んだり、自分の中で悶々と考えたりしてきた。
正解のないことをただ考えていることが好きだった。決して答えを出すために考えているわけではない。たぶん私は、答えはどうでもいい、むしろ出したくない、と思っているんだと思う。
だがこれに答えを出さなくてはいけない場面が、突然私の目の前に現れた。

父方の祖父が、余命1ヶ月と宣告される。

私の家族は、父方の家族と二世帯で一緒に暮らしている。下に降りればいつも父方の祖父(じーじ)がいた。
自営業の親は家に会社があるため休日も常に仕事をしていたし、一人っ子で保育園・小学生の私には特に土日祝日がつまらなかった。そんな時はいつも下に降りて
「じーじ!あそぼー!!!😆」と言って一緒に遊んでもらった。

そんなじーじ、2年前くらいから癌が見つかっていた。
抗がん剤治療のため通院はしていたが、薬が効いていて一見健康そうだった。ここ半年くらいは副作用で皮膚や声に影響が出ていたが、ご飯を食べたりお掃除をしたりと日常生活の動きはできていた。

だが2週間前くらいに突然、痛みを訴え病院に行った。
即入院だった。

そして突然

「もう治療はできません。
だからいつ亡くなってもおかしくない状態です。
1ヶ月2ヶ月持つかどうか…」

私たち家族はそう言われた。
あまりに突然の出来事すぎて、全員理解するのに時間がかかった。
(え?昨日まで元気にしていたよ?ご飯食べて動いて…いつも通りだったよ?)
家族全員がそう思った。

今でも私は、これ を「完全には」理解できていない感じがする。
あれだけ死について考えてきた私が、いざ大切な人の死が目の前にあるって言われた時に

何にもわからなくなった。

本当に頭がからっぽになった。

死ぬってなに?

さんざん考えてきたのに、わからない。
何もわからないけど、ひとつだけ「わかっている」ことは
【じーじはもう長くないということ】
それだけ理解できていれば、今はいいやと思った。
わからないもん。今まで人の死を見てきたことがないから。そりゃそうだよね。
そんなことより、
じーじとの時間を大事にしよう。そう思った。

余命宣告をされた次の日の夜、父が私に

「じーじ本人に余命を言うべきかどうか、お前の意見を聞きたい」

と言った。

「余命を本人に言うかどうか」これもまた私がずっとテーマとして考えてきたことだった。
さんざん考えてきた私の答えは
「私本人が余命宣告をされている立場だったら、絶対に教えてほしい。病状等何も隠さず全て話してほしい」だ。
だから当然、こういう場面が来た時の私の答えは、「全てを本人に言う」のはずだった。
はずだった。

だが、初めて自分の中で、反対の意見が生まれた。

『じーじには余命を言わない方がいいのでは?』

じーじは何か悪いことがあると、「ああもうダメだ」とよく言っていた。諦めてしまう部分がかなりある。
そんなじーじに「あと1ヶ月くらい」なんて言ったら
「ああもう俺は死ぬのか」と諦めてしまい、生きる気力を失ってしまうと思ったのだ。

私がその本人だったら全て教えてほしいが、
いま余命宣告を受けている本人は私じゃない。じーじだ。

だったら、じーじがどういう人間であるかを思い返してみて、決めるべきだと思った。
じーじの人間性を考えた結果、私が出した答えは

「じーじ本人には、余命を言わない」

だった。自分が一番驚いた。
死について考えてきた私が、余命宣告は必ず本人言うべきだと一回も変わらず考えてきた私が、自分が今まで考えてきたのとは全く反対の意見になったのだから。
だけどこれが、じーじにとって「ベター」だと私は考えた。

理由も含め私の意見を述べたら家族は私の意見に賛同した。
「たしかに。じーじはそういうところあるもんね。」

「言わないでおこう」とはっきりと話したわけではないが
なんとなく、「言わないまま励ます」という方向に決まった。

余命宣告を本人に言わないという選択肢を選ぶことなんて絶対にないと思っていた私は、この日、人生でものすごく自分に驚いた日だった。

これはその記録である。

文章にお金がつくって、まだ完全に理解していないです。 でも、サポートしてくださったあなたのその素敵なお気持ちは忘れることはありません。