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おばあちゃんとシビレ

北海道では、ヒトを送るとき、迷わないように鈴を鳴らし続ける風習があるらしい。

故人の身を清め、化粧を施し、棺桶に詰めるその刻まで、室内には鈴の音だけが鳴り響き、降り頻る雨が虚しさを一層募らせた。

コロナの真っ只中だというのに、500人以上の参列者に見守られ、大往生した祖母の顔を私は最後まで直視することが出来なかった。

御仏前には、入院中沢山の人に囲まれ笑っている祖母の顔や、旅行の写真、私の写真...他の孫やひ孫の写真...それこそ彼女の一生を綴ったアルバムが飾られていた。

叔母や従姉妹の咽び泣く姿にかける声もなく、棺桶に張り付いて離れない同い年の従姉妹とは対照的に、私は名前すら記憶にない親族や祖母の友人の思い出話に相槌を打ち、ハンカチやティッシュを差し出すだけの冷たい女へと成り果ててしまったのだ。

「あんたは、ほんに小さい頃から大人しうて上品で頑張り屋さんじゃったけど、こんな日くらいは、甘えたり泣いたり我儘言ってもいいんよ。こんな別嬪さんになって、立派になってねえ。本当にねえ。全員平等に愛したなんて言うけど、おばちゃんは、あんたが1番愛されてた気がするわ。いっつもあんたの話ばかりしてはったわ。なぁ。ママも箱入り娘じゃったけど、あんたは3重の桐箱に鍵を付けられて育てたようなもんだったからねえ。ああ、立派になって。あんたが1番おばあちゃんに似てるものねえ。」


目に涙を浮かべ両腕を掴まれ、背中を摩られてもへにゃりとした笑顔を浮かべて曖昧に笑うことしかできなかった。

「コロナだったからな。
会えなかったのは仕方ないよ」

ふと叔父が漏らした言葉は私の怒りすら奪っていった。

葬儀にこそ参加させてもらえたものの、東京にいるというだけで、まだ意識のある祖母には会わせてもらえず、札幌の病院で働いていた、しかも内科勤務の従姉妹は堂々と何度も面会をしていた事実だけを物理的に知らしめられ、あとから湧き上がる感情は怒りよりも諦めに似た何かだった。

「ママには申し訳ないけど、おばあちゃまが亡くなったらあの人達とは縁を切りたい。喪には伏しても葬儀なんて参加しませんから。祖母の葬儀でコロナウイルスをばら撒いたなんて言ったら笑い事じゃすまないし、私だって色々考えて検査もした上でお願いしてるのに、なんだって言うのよ。叔父様のしてる事はそういうことよ。検査もせず毎週会いに行く看護師の方がよっぽどリスキーじゃないの。」


涙を浮かべながら怒りを露にし、母に思いの丈を衝動的にぶつけたのはそれが初めての出来事だった。母の哀しげな顔と手の震えが止まらなかった事だけは鮮明に覚えている。

絶対葬儀になんか出ない。そう啖呵を切ったものの、いざ訃報を聞いたら、頭の中が真っ白になってしまい、私が葬儀に出る羽目になったのは、たまたまその場に居合わせた友人が私を無理矢理マンションに連れて帰り、旅行の準備をしてチケットを取り、お菓子を買って空港へと送ってくれた、ただそれだけのことだった。

「今日おばあちゃんと夢でカフェに居たって話したじゃん?死んだって」


あっけらからんと言い放った私に目を丸くして何も言わずに手を引っ張ってくれた友人には感謝してもしきれない。

亡き祖母は、人一倍頑張り屋さんで、辛抱強く死の間際まで自分が癌である事を誰にも明かさず、痛いだの苦しいだの泣き言も一切漏らさなかったらしい。

だけど、私は知っていたのである。
5年前、突然の活動休止を告知する最後のライブとなったあの日、祖母から珍しく電話が入っていたのだ。

「おばあちゃん、明日手術なんよ。腎臓に悪いもんが出来て、一個取るんだって。目が覚めても、他にも悪いもんが浸潤してる気がするんよ。あちこち痛くて。これから飛行機予約して帰ってきてくれん」

「今から大事な用があるの。
終わるのは終電間際だから、帰るなんて無理。死ぬわけじゃあるまいし、大袈裟ね。
切るよ。」


無情にも放った言葉。祖母の不安を取り除くことよりも大事なライブなんてあっただろうか。

あの頃の私は全くどうかしていたのだ。

ビジネスに私情はこれ以上持ち込んじゃいけない。大学の試験の兼ね合いでワガママを聞いてもらっていたのに、これから始まるこのメンバーでの最後のライブ、主役は絶対に奪ってはいけない。

そんな想いが私の判断を鈍らせていたのだ。

今となっては何が正しい選択だったのかはわからない。この事実はメンバーさえも知らない。教える気もない。書いてしまったけれど、彼らは私のnoteなど見ない自信がある。

最近はとても燻っていて、コロナを理由にメンバーにも会わず、スタジオにも入らず、曲はでき上がっているのに歌詞も書かない。歌いたいなと思う反面、身体や思考が追いつかない日々を送っている。

祖母の死をキッカケに歌詞が書けなくなってしまったのだ。ストーリーが見えてこない。全く何も湧き上がって来ない。脳裏に浮かび上がるのは、祖母よりも大切な音楽なんてあったのかという言葉だけ。

これはきっと罰なのだろう。
人の生を蔑ろにした罰。

私に残された時間はあまりないから。
馬鹿げた理由で頭を悩ませないように、家族との時間もこれからは大切にしていきたい。そう、心から思えたから、ここに綴ることにしたのだ。

誰が見るかもわからない、私だけのnoteに。

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