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自分の常識を疑うこと

頑張って身を粉にして働いて
生活を切り詰めて
時間をかけて、お金をかけてやっと手に入った「物や思い出」

それはもちろん、頑張ったからこそ手に入ったんです。

でも、それはあなたが頑張ったから当たり前なんです。
それはあなたの想像を超えてはこないはずです。

長い人生、長い職歴、長い生活になればなるほど
自分の範囲を超えてこないもの。

それこそが安定、安心だから
それで幸せってことです。

でも人って飽きるようにできているから厄介なんです。
忘れっぽいのに飽きっぽくて
続かないし楽をしたい生き物なんです。

で、映画やドラマや漫画なんかの
フィクションを見て思うんです。

「いいな〜、羨ましいな〜、すごいな〜」
「自分の人生このままでいいのかな〜」
って。

でもその次には
「自分には無理か〜」で
年齢や学歴や職歴などの「過去」に目を向けてしまう。

過去に目を向けたらそこは
「今の自分を作ったものたち」で溢れているんだから
当然、フィクションで見たような要素は1つもないんです。

じゃあどうしたらいいのか?

過去なんて捨ててしまう。
な〜んてことはできませんが
過去を思い出せないくらい、今に一生懸命になればいいんです。
今に一生懸命になるには、過去にないくらい
自分の常識や標準や水準を壊すくらいの「痛み」を経験するしかないのです。

・・・ってそんなことは言いません。笑

痛みやストレスしか成長する方法はないのだとしたら
それも楽しめたらいいじゃないかってことです。

まずは、今まで習慣になかった言葉を
自分にあげてみることをしましょう。
その習慣だって今までなかったんだから「習慣を変える痛み」です。

でもその痛みは「すごい!最高!できる!」みたいな
ものすごいポジティブな言葉でもいいけど、それも疲れちゃうかもしれない。
だったら「なんかわからないけど、自分ってすごいんだよな〜」くらいゆるくても大丈夫です。

「頑張れば手に入る」ってよりも
「自分はすごいって自分で気づく」からその想いにふさわしいものが手に入ることになります。

これっていわゆる「引き寄せの法則?」って思うかもしれませんが
引き寄せの法則は「自分の頭の範囲内」でしかないんです。
それで満足することもあるかもしれませんが、どうせなら今の自分からは想像もつかないほど「すごい」ことが起こる未来に自分を自分で連れて行けるかもしれません。

それこそ「自分の常識の破壊」になっていきます。

苦労して努力して痛みを伴う破壊は、美しいかもしれませんが
頑張らないことだって、今まで頑張ってきたことを手放すことになるので
ものすごく怖いことだったりします。

でも、頑張ってきたのだから
実は抱えきれないほどの「何か」を持っている可能性もあります。
その「何か」に気づかないのは頑張っているからかもしれません。

視野が狭くなっているのは
意味もなく、ただただ頑張っているせいかもしれません。

その「常識」を疑ってみて
「自分はすごい」って無条件に認めてみてください。

誰に何を思われても関係ないんです。
だってその人があなたの人生に関わることなんて
ほんのわずかですから。

大事なのは自分。
それだけを忘れずに。

それでは、また



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