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論文:日本のセクシュアル・マイノリティ運動の変遷からみる運動の今日的課題―デモとしての「パレード」から祭りとしての「パレード」へ(日本女性学会『女性学』23巻[2016]掲載)



概要

2016年に発刊された日本女性学会誌『女性学』23巻に掲載された査読論文。
 日本における性的マイノリティによる社会運動の変遷を、運動の形態の変化に着目して論述した。
 論文の内容は、日本の性的マイノリティ運動が、「デモ」から「祭り」へと形態が変化することにより、①参加者を広く集めることが可能となった、②その一方で、「何のために運動をするのか」という目的が参加者と共有することが難しくなった(「祭り」なので、楽しく参加することが第一義となった)、③参加者数の増減が市場経済と結びついていくことが、性的マイノリティ(いわゆる「LGBT」)を消費財とすることを後押ししている、この3点を指摘したものである。

論文目次

はじめに
Ⅰ「パレード」成立に導いた運動 
 1.アイデンテイテイの形成と「学習会」活動
 2. メディアにおけるセクシュアル ・マイノリテイの可視化
Ⅱ デモとしての「パレード」
 1.「パレード」の手法
 2.「パレード」における「学び」の重視
 3.「宣言文」に対する異議申し立て
Ⅲ 祭りとしての 「パレード」
 1.「ミッション型」の「パレード」
 2. “楽しい”「パレード」の全国的広がり
おわりに セクシュアル・マイノリティ運動の今日的課題

雑感

 この論文にまとめた、運動の変遷から見た課題(意識)は今日の自身の研究の前提にもなっていることは間違いないし、指摘した内容(特に「祭り」型の運動の成果と課題)は、論文執筆時の2015年と比べて、より深刻になっていると考えている。
 ちなみに、この論文を書き直すのならば、なんといっても、「セクシュアル・マイノリティ運動」と言っても、取り扱っている運動の多くが「男性同性愛者」中心かつ、〈中央〉での運動ばかりであることをより意識して考察すると思う。
 刊行された後の研究会などで、多くの研究者に指摘していただいたのはその点でもあった(本論文が出された後、日本においても、「男性同性愛者」以外によってなされた性的マイノリティ運動の研究や、〈地方〉における運動の研究も深められている。研究成果に学ぶことが多く、頭が下がるばかりである)。
 また、「祭り」の成果についてももう少しポジティブな考察ができたのではないかとも思っている(それについては、こちらの論文で再考し論述した)。
 初めての査読論文だったということもあり、執筆や論文掲載に向けてのやりとりも含め、強く印象に残っている論文。内容に関して、文章のテクニックは、「稚拙で冗長」な面も否めない(これは、ある学会で私の研究に対していただいたフレーズで…なんといっても、この時期は「」や〈〉が多い!)が、ある意味で、「研究の初発」が明確に表れていると、今読み返しても強く思う。



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