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結婚を約束していた人に手に負えないと言われました


てとです。

デスマス調かである調かなんて、適当に書き殴ってきたTwitterでは考えなかった新しい悩みです。noteにお邪魔してよかったなと思います。

自分の思考整理が目的のnoteなので、今回は最近の事を文章に起こしてみようと思います。


先週、お互い結婚まで考えていた人に「君は僕の手には負えない」と言われました。2年半お付き合いした2歳年下の純朴で素直な優しい方でした。


ちょっと話が遡る上に大きく逸れますが、4年近く前、母がガンで余命宣告をされました。

そのさらに前に胃ガンで胃を全摘出したにも関わらず、既にガン細胞は胃袋を突き破ってお腹の中に散らばっていたようで、

当時の説明では「散らばったガン細胞全ての回収が出来ないため完治は不可能。」「抗がん剤で進行を遅らせるしか手はない。」ここまでは母にも聞かせたお話でした。

別室に先生を連れ込んで聞き出した母の残り時間は「半年から1年」でした。まだ50代半ばでした。

残り時間は母には伝えず、大好きだった仕事も辞めて、私は母孝行に全力を注ぎました。



「キラキラした意識高い系に憧れちゃう割に頭が悪い女」な私は、母が願う「内助の功な良妻賢母」からはかけ離れた生活、性格をしていました。

が、
「意識高い系キラキラブラックベンチャー」は母孝行のために辞めましたし、その後に幸か不幸か、「母に反対されながらも結婚したかった意識高い系彼氏」にはフラれ、次は母に安心してもらえる「結婚向きの彼氏」を作ろうと思いました。



紆余曲折あらゆる努力が失敗に終わる中、意図せず出会ったのが冒頭の彼でした。

学生時代所属していたクラブの入れ替わりの代の後輩で、彼女いない歴=年齢の非モテ男子。女の子とは友達として仲良くなれるものの「いつか彼女できるよー」と無責任に言われて土俵にもあがらせてもらえないタイプ。

私の印象は「拾ってください」も消えかかったボロボロのダンボールの中で、道行くひとに頭を撫で可愛がれながらも、連れ帰ってはもらえない捨て犬でした。

捨て犬本人も、成人して何年かくらいまでは、拾ってもらえるかも!と期待してはフラれ、アタックしてもフラれ、私と出会った時には完全に魔法使いになると諦め、世のカップルを羨んでいたそうです。


そんな彼と共通の信頼する友人を通して知りあった私は

「あ、コイツ、おだてたら結婚向きの男になるな」

と思い、出会って2週間でお付き合いに持ち込みました。



その時は、入院しながら日に日に弱る母の元に毎日片道1時間半かけて通って励ましながら、慣れない家事をし、ボーッとしている父と弟のお尻を叩き、奨学金と最低限の生活費用アルバイトもこなし、という生活で、私は既に精神的にいっぱいいっぱいでした。

母が私に一番に願う「幸せな家庭を築く人生」そして「孫の顔」(母は自分でも長くないと思いながらも何年かは生きれるつもりでいた)にとっても向いてそうな彼を見つけてしまったので、膨大な初期コストは承知で頑張りました。


女慣れしてないところは全部優しく言葉で説明し、ひとつ出来たら未就学児相手のように褒めちぎりました。

おてての繋ぎ方、頭の撫で方・力加減、そこから説明いりますか?というところから、我慢強く褒め育てを意識したところ、

元々性格が良く真面目で誠実な彼は、私を喜ばせたい!とメキメキと成長してくれ、本当に「良い結婚予定相手」になりました。

母の存命中に無事紹介もし、前の彼氏はボロカスに言っていた母も「反対する理由がない」のお言葉をくださり、医師の宣告の倍くらい頑張ってくれた末、家族みんなで見送れました。



元より強くない心身に、母への愛のために鞭打ってきた私は、見送ったあとはボロ雑巾のようになり、各種医師にも「就労不可」「要静養」のお墨付きを頂きました。(そのハンコでちょっと楽になった)

毎日泣き暮れて日常生活もままならず、度々救急車にもお世話になったような私を、(注:後追いではなく不可抗力) 彼は当時就活中で余裕の無い中であるにも関わらず、根気強く寄り添ってくれました。



そこから2年経ち、私の社会復帰も朧気ながらも輪郭を帯び始め、既に彼の両親は籠絡済み、というよりは勝手に溺愛され、元よりお付き合いは結婚を前提としたものであったため、あとはもう「いつ?」という段階でありました。

そして先週その「いつ?」について何気なく話していたところ、雲行きが怪しくなり、すれ違いが発生し、何とか軌道修正せんと頑張るも、「君は僕の手には負えない」と言われてしまいました。

私のいらないことまで考えたがるところや、卵子のタイムリミットを考えて逆算して行動しようとするところ、(頭も良くないのに)意識高い系情報を好んで摂取するところ、人狼ゲームが大好きなこと(?)などなど、のほほん、ほややん、とした彼とは正反対のゴリゴリな私に、ずっと前からモヤモヤしていたのでしょう。

「君は僕の手には負えない」「結婚のプレッシャーが仕事より重い」「独り身の方が楽なんじゃないかと頭をよぎることもある」などなど…

ゴリゴリな私はそこで我慢出来るはずもなく、己の人生観を淡々と話し「君にとって都合がいい私も悪い私も、全部根幹は同じで変えようが無い」と言い放ってしまい、

現在一応有期ではあるのの絶縁状態であります。

関西出身私はこのオンリー説明のオチのない話でいいのか不安になりますが、以上がタイトルへの流れであります。自己満noteだからいっか!



私のnoteは自分の掘削作業なので、ここからはさらに感情的に書いてみます。

どうしたらどんな私なら良かったのでしょうか。どんな私になれば良いのでしょうか。

「ほんとうの幸ってなんだろう」宮沢賢治さんの答えはなんだったのでしょうか。



私は自分の幸が分かりません。「今よりマシになりたい」が軸で「あのすごい人みたいになりたい!」を毎日目まぐるしく色んな人に向けて思っていて、

周りの大切な人たちどころか道行く知らない人、果てはいじめてくるお隣さんの幸福までも願い、出来ることをします。無自覚にキャパシティも分らず身をなげうちます。

あとからツケがきて痛たた…となり、私を大切に思う人たちの心を傷めさせてもなお治さないのですから、そんな善人のような振る舞いをする自分が好きなのです。器に見合った、弁えた行動で納められる、自己管理能力をつけてからにして頂きたいですね。


彼とのお付き合いも、母のため、自分の欲しい未来のためではありましたが、終始彼のためでもあるお付き合いでした。

私に時間を使わせる限り、彼にとって良い物にしたいと常に考えていました。彼に限らず、関係に関わらず、誰相手でも頭の端にあります。

私とお別れしたとしても有意義だったと思える時間を心がけ、かなり実行したつもりですし、客観的…と言えるかは分かりませんが、彼の友人たちからも「彼は付き合って良いように変わった」とお褒めの言葉も頂戴しました。

まだ分からない不確定な先を、バカなりに考えて、出来ることを尽くして、エゴを出来るだけ排除して、お互いのためになる時間を作ってきたつもりでした。

しかし彼にはそんな私は「重い」のです。
父にも言われます。「もっと考えるな」と。



2人とも私の「考えるクセ」の恩恵を無自覚であろうとも確実に享受しておきながら、その「考えるクセ」によるデメリットを批難するのです。表裏一体で同じ根幹なのに不思議です。


私は絶縁状態になったものの自分の心を全く整理出来ていません。本当に彼と結婚したいのか、すべきなのか、していいのか、分かりません。

愛とかそういう感情はもっとわかりません。情かかけたコストへの執着かホントウの愛なのか区別がつかない。

自分の人生も考えます。巻き込む両家も考えます。でも何より復縁したとて彼自身の不確定な幸せとやらを考えて悩みます。

私は心身が弱く、中途半端な頭脳のクセに我が強く、社会的にも本当に無能な人間です。実際タイトルのような言葉を彼に言わせてしまっています。私の不徳の致すところでしょう。

…彼の幸は彼の領分なのに、こうやって勝手に背負い込んで自責と思うからしんどくなっちゃうんですね。書きながら気づきました。


絶縁期間はたったの1ヶ月です。来月までに私は何を感じて何を考えるのでしょうか。整理と覚悟と反省のために費やしたいと思います。


オチもない構成も日本語も拙い自己満足の文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。


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