【ユンゲ・フライハイト紙】ドイツのための選択肢が、またも党大会のための場所を見出せず: ベルリンでは何かが腐っている。
2020年1月23日
政党は「国民の意思形成において協働する」、このように基本法は語っている。そして二つ後にある条項において、第21条はこう要求している。「その内的な秩序は、民主主義の根本原理に即したものでなければならない」。これは二つの非常な明確な命題である。憲法はあるもの——意思形成における協働——を容認しているのであり、それに対する対抗策として、またあることを要求している。すなわち、それは政党が民主主義というゲームの規則に内部的にも、のっとることである。たとえばそこに含まれているのは、ポストや議席や綱領が上から撤回されたり、あるいは指令されたりすることは許されず、構成員が集まって選挙によって、それについて決定することである。
だからこそ脅迫や威圧や暴力によって、政党が集会を行なって、その指導部を選挙することを邪魔する者は、そのとき憲法に反する行為をしているのである。なぜならば、彼はその際に、基本法で保障された協働を阻害し、またそこで必要とされている政党内部における民主主義を抑圧しているからである。憲法に敵対する人々を、ひとはまた原理主義者と呼ぶのである。それに対して、基本法で保障された権利や課されている義務に訴えかけることは、原理主義的ではない。
君たちはファシズムの防波堤などではない!
このことは、ドイツのための選択肢がその党大会のためのいかなる場所も見つけられなかったことに対して、密やかにか、あろうことか公的に喜びを表現した人々の肝に銘じられるべきことである。というのも、ある裁判において、彼が自らやその家族の健康を、政党との賃貸契約の順守のために危険に晒す必要などない、ということが家主の潜在的な権限とされたのだから。
ベルリンでは何かが腐っているようだ(ベルリンだけではないが)。いや、匿名で脅迫電話をする人やナイフをちらつけせる者たち、君たちは「ファシズムに対する防波堤」などではなく、自由な民主主義の根本的秩序の棺桶に釘を打つ人々なのである。そしてドイツのための選択肢の政治的な競争相手が沈黙していることは、民主主義者のあいだのコンセンサスを支えるものではない。君たちの臆病で無関心で、さらには嘲弄的な徒党根性を、勇気と取り違えないでくれたまえ。そしていまもう二度と「もう二度とはさせない!」など言わないでくれたまえ。
https://jungefreiheit.de/debatte/kommentar/2020/es-ist-etwas-faul-im-staate-berlin/
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