【ユンゲ・フライハイト紙】テューリンゲン: 接触禁止の人々とともに歩んでいく道

2020年2月5日
よりにもよってBjörn Höckeが!よりにもよってドイツのための選択肢の右翼男が、テューリンゲンの州政府首相への自由民主党政治家Thomas Kemmerichの選出によって、国内政治にセンセーションを引き起している。このドイツのための選択肢会派の長は、キリスト教民主同盟と自由民主党と非公式の選挙協力を結んで、赤-赤-緑の政府を、人気の首相Bodo Ramelow(左翼)とともに、苦々しい野党席へと追いやったのである。

そうしてHöckeはすべての政党を騙したのである。キリスト教民主同盟と自由民主党の指導部はあからさまに慇懃無礼な態度で第二勢力の会派である左翼党、社会民主党、緑の党と距離を取っており、そして、その三つの党はBodo Ramelowを選挙の勝利者として祝福していたが、実際にはその絶対的多数を失っていたのであった。10月の終わりの州議会から100日後、真の勝利者として立っていたのは、Björn Höckeであった。

選挙者に対するペテンではない
彼と彼の会派の指導部は、まず最初に支持者の数を知るためだけの無党派の候補Christoph Kindervaterを、現職のRamelowに対する別の選択肢として立てて、次に決定的な三度目の投票手続きにおいて、彼を支持者なしの候補者として引っこめることによって、キリスト教民主党と自由民主党と一致してKemmerichを州政府首相にすることに成功したのであった。ドイツの連邦の議会史に他に類を見ない策略である。しかしながら、タブー破りや文化破壊という非難にもかかわらず、それは民主的で法的に妥当な選挙であり、選挙者に対するペテンでもない。

エアフルトにおける激震をベルリンにおける大連立がどのように理解するかについては、まだ待ってみなければならない。テューリンゲンで追い払われたことによって、社会民主党は連立から抜けてしまうのであろうか。共和国における彼女の友人たちが、直接的にも間接的にも、左翼党ないしドイツのための選択肢とは協働しない、という連邦レベルでの決定に違反したことによって、この間に影響力の低下していたAnnegret Kramp-Karrenbauerは、その地位を失うことになるのだろうか。そして次の連邦議会選挙の後における黒-緑連立のチャンスは少なくなってしまった。

連邦-自由民主党は機会を掴んで、内実的にドイツのための選択肢をとりこまねばならなかった。障害だらけの道、接触禁止の人々とともに歩む道、排除の道を通って、現実問題へと向かったのである。確かにKemmerichは、50年代の始めのバーデン・ヴュルテンベルク州におけるReinhold Maier以後の二番目の自由民主党の州政府首相として、Höckeによって期待されるテューリンゲンの新たなスタートにおいて困難を抱えることだろう。彼がまったく準備もせずに高位へと転がりこんだことが、ドイツのための選択肢と自由民主党とキリスト教民主同盟が、約束された作戦によって戦列をくんだということを否定するものである。

多彩な多数派
数えなおしによって州議会へと入りこむことになった自由民主党は、議会における多数派を模索しなければならない。赤-赤-緑は完全に拒絶をするだろうが、キリスト教民主同盟は対話に開かれている。ドイツのための選択肢も、である。問題となるのは、キリスト教民主同盟と自由民主党、とりわけ新たな州政府首相が、自らの議会における制約を飛びこえて、ドイツのための選択肢との対話を試みるかどうかである。たとえば、左翼党のRamelowが、キリスト教民主同盟の元連邦大統領のJoachim Gauckの協力のもとで、やっていたように、である。

新たな州政府首相には他の選択肢はない。唯一の別の選択肢は、彼が短期間で失脚することである。いまでもなおKemmerichは、ドイツのための選択肢に対する「防火壁」について口にしている。他方において彼は、「新たな仕方で考える」ために、最近では「多彩な多数派」を対話に招いている。そうして中立的な専門家を政府へと導きいれるというKemmerichの意図は、最初の一歩なのである。

https://jungefreiheit.de/debatte/kommentar/2020/weg-mit-den-kontaktverboten/

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