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さよなら、イシバシプラザ。

 静岡県沼津市にある"イシバシプラザ”。北側にイトーヨーカドー沼津店、南側には専門店街が広がる大型商業施設だ。1978年7月開業、43年の歴史である。
 食料品、衣料品、雑貨などが多数揃い、地域生活に密着した存在となっている。

 イシバシプラザは、わたしたち家族にとっても、生活の一部であった。

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 日曜日は、父と母とイシバシプラザ。運転手は父。
 店内は、買い物客でごった返していた。迷子になったら帰れないと思い、両親の手を離さなかった。たくさんの商品が並ぶ世界は、幼き眼にキラキラと映った。

 夏休みは、祖父と母とイシバシプラザ。運転手は祖父。
 母は、撮りためたフィルムの現像をカメラのキムラ(現・カメラのキタムラ)に出していた。 わたしは、休憩スペースにあるカップ式自販機で、1杯のジュースを買ってもらうのが楽しみだった。

 祖父は、わたしが10歳の時急逝した。それから運転手は母になった。苦手な運転を頑張ってくれたのだ。
 わたしは、この近くの塾に通い始め、母は送り迎えの間、すなわちわたしが塾で勉強している間、ここで買い物をしていた。

 わたしの成長とともに、家族3人揃って買い物に行くことは減った。しかし、たまにみんなで行くとワクワクしたものだった。それが幸せであると気がつくのは、ずっと先の話である。

 学校で流行った筆箱、お気に入りのサンダル、初めて買ったCD。青空広場と呼ばれる、大きな滑り台のある木製遊具で遊ぶのが楽しかった。

 そんな思い出がたくさんあるイシバシプラザ。

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 2021年8月22日、本日イシバシプラザが閉館する。

 それを知ったのは、今年の春先のことである。ネットニュースに、馴染みある名前が載っていた。「閉館」の2文字は、わたしの眼にグルグルと映った。

 昨今の新型コロナウイルス問題、商環境の変化、開店から40年以上経過しており建物の老朽化等を総合的に検討して、誠に遺憾ながらこれ以上の営業継続は不可能とイシバシプラザ閉館の決定に至りました。(公式HPより)

 信じられない、と思った。永遠にある、と思っていたのかもしれない。思い出の場所がまたひとつ、消えていく。

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 故郷の沼津を離れ、もうじき10年の時が経つ。

 2021年現在、沼津市の人口は約19万人。小学生の頃、この市の人口は約21万人と習った。20年近く前の話だ。
 同級生のほとんどが、今どこで何をしているか知らない。どれくらいが地元にいるのだろう。
 わたしの故郷の記憶は10年前で止まっている。しかし、この街の時は確実に進んでいた。

 今でも、実家にはよく顔を出す。しかし、文字通り"顔を出す"ほどの、とんぼ返りが常である。
 イシバシプラザへ足を運ぶ機会は、ほとんどなくなっていた。時折会話に出てくるそこを、父は「今は、昔のような賑わいは見られないねえ」と言った。

「イシバシプラザ、なくなっちゃうんだってね」
「時代の流れだろうなあ」
「子どもの頃の思い出がたくさんあるから、結構寂しいなあ」
「それなら、閉まる前に行ってきたら?」

「そうだね、行ってみる」

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 そうして訪れたイシバシプラザ。お久しぶり。
 昔を思い出す懐かしい気持ちと、閉館が信じられない気持ちが、交差する。

 店内は閉店セール一色だった。すでに他施設へ移転しているテナントもあった。記憶をたどりながら、ゆっくり歩く。変わらないお店、変わってしまったお店、様々だ。
 大好きだった本屋もCDショップも、もうない。青空広場は健在で、昔と同じ遊具で子どもたちが元気に遊んでいた。昔のわたしを見ているようだ。

 子どものわたしは、あれほど広く感じて、迷子になったらどうしようと思っていたのに、大人のわたしが歩けば、一周するのにそう時間はかからなかった。

 わたしは、洒落た陶器のグラスをふたつ買った。いつでも今日を思い出せるように、と。

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 懐かしい気持ちはどんどん深まる。

 イトーヨーカドー2階にある自販機コーナーで、1杯のカップジュースを買った。これが、子どもの頃の楽しみだった。
 ここからは、外が見える。昔と何ひとつ変わらない景色。もう見ることが出来なくなる。
 そういえば、この近くにプリクラがあって、父とふたりで撮ったような気がする。まだプリント倶楽部と呼ばれていた時代。撮ったプリクラは、実家のどこかに眠っているだろうか。

 思い出される記憶はすべて断片的で、まるでフィルムの切れ端のようだ。そして、幼い記憶は、なぜこんなにも儚くて輝いているのだろうか。

 ジュースを飲み干す。
 ほんとうに、なくなっちゃうんだなあ。
 空のカップの底をじっと見た。

 最後にいつ来たのかを、思い出せない。しかし、失うとわかると、その存在を求めてしまう。
 行く機会はたくさんあった。それなのに閉館が決まってから訪れた。地元を離れているため、仕方ないことかもしれない。しかし、そんな自分自身が、ちょっぴり嫌になった。

 閉館する今日、最後にもう一度訪れたかった。だが、自身のスケジュールや緊急事態宣言の発令により、それもかなわなくなってしまった。行けるときに行ったほうがいい。何事もそうであろう。痛感する。

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 いつでも行けると思うほど、行かなくて。
 いつでも会えると思うほど、会わなくて。
 いつでも出来ると思うほど、やらなくて。

 きっと人生は、それの繰り返しで。

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 紙カップを捨てて、席を立つ。
 散策を続けると、利用者からのメッセージが掲載されているボードがあった。閉館を惜しむ声、思い出を語る声、お子さんからの可愛らしい声。そこには愛が溢れていた。ここに訪れた人の数だけ、エピソードがある。

 わたしもメッセージを書いた。

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 母に、可愛いアクセサリーを買ってもらったあの日。
 ロッテリアで、父にチーズバーガーを食べさせてもらったあの日。
 塾の休み時間、こっそり抜け出して友達と本屋に行ったあの日。
 はじめてひとりで買い物に出かけたあの日。

 ここには、数え切れないほど"あの日"の思い出が刻まれている。

 フィルムの切れ端のような思い出を、儚く輝いている思い出を、しっかりと心にしまっておこう。記憶は、消えない。

 わたしの青春は、確かにここにあった。

 さよなら、イシバシプラザ。
 そして、ありがとう。

 43年間、お疲れ様でした。

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