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麦茶の魔法は、母の愛。

 テーブルの上にある夫のコップには、飲みかけの麦茶が入っている。そういえば、さっき飲んでいたなと思った。

 時は夕食前。まだ飲むであろうそのコップに、わたしは麦茶を足した。

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 子供の頃の思い出が、蘇る。

 実家の食卓では、わたしの右に父が、左に母が座っていた。父の仕事が忙しいときは母とふたりで、休日は家族揃って食事をした。14歳の夏、母が病気になるまで、わたしがひとりで食事をすることはなかったと思う。

 正直、子供の頃何を食べていたのかはあまり覚えてない。
 母はたぶん料理がそれほど得意ではなかった。ハンバーグとかオムライスとか、子供が好きそうな料理が出た覚えはない。それでもほぼ毎日、手料理を出してもらった。

 食事のときはいつも麦茶だった。
 我が家では年中麦茶が出てくる。

 小学生の冬、友達の家に遊びに行ったときの話である。「何飲みたい?」と聞かれ、わたしは「麦茶」と答えると「麦茶は夏しか飲まないんだ」と言われた。そのことに結構なショックを受けた記憶がある。だが、我が家は年中、麦茶を飲む。

 食事中、わたしの麦茶が少なくなると、母は何も言わずに麦茶を足してくれた。それは物心がついた頃から、ずっとだった。

 子供の頃のわたしは、それが魔法だと思っていた。母の席からわたしのコップの中は見えないのに、ちょうど麦茶がなくなった頃に足してくれるのだ。それが不思議で仕方なかった。

 麦茶の魔法が、食卓の思い出である。

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 大人になって、家族揃って食事ができることは、幸せだっだとわかった。毎日家族分の料理を作ることは、簡単ではないと学んだ。

 そして、母が魔法のように麦茶を注いでくれたのは、わたしへの愛情だったと気がついた。

 麦茶は、ほんのひとつの話にすぎない。きっともっともっと母はわたしに小さな愛情をたくさん注いでくれていたのだろう。

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 今わたしは、母にしてもらったことを、夫にしている。
 愛情は、こうして世界を巡っていくのだろうか。

 この麦茶はわたしの魔法かもしれない。
 そんなことを考え、少し笑った。

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