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これだから海外一人旅はやめられない

わたしの趣味は海外一人旅。現地の人と話したりその土地の文化に触れることが好きだ。これは昨年の秋にネパールに行った時の話である。

ネパールには2泊3日で滞在していた。2日目の夜、お店を2件はしごして飲み歩き、心地よい風に吹かれながら宿に戻っていると声をかけられた。

すみません、少しお話したいのですが。

客引きでよく聞くカタコトの日本語とは違い、その日本語があまりにも流ちょうだったので、思わず振り返ってしまった。

その人は30歳くらいの男性であった。少し立ち話をすると、彼(Tさん)はネパール人で日本人女性と結婚して岐阜で働いており、1か月間帰省でネパールに帰ってきているらしい。どおりで日本語が上手なわけだ。

Tさんは日本語のリハビリがしたく、わたしに声をかけたらしい。お店で1杯どう?と言われたのでさすがに遠慮したが、話はしてみたかったので道路の脇に座って話した。それぞれの生い立ち、なぜわたしがここに来たか、お互いの夢…気づいたら23時になっていた。

少し寒くなってきたので、よければ家で一緒に家族とご飯食べる?と誘われた。少し不安もあったが現地の家庭料理を食べてみたかったので、ご一緒させてもらうことにした。

Tさんの家族は祖母、母親、父親、弟2人、妹1人、犬1匹と大家族だった。妹さん以外は手で食べていたので、わたしも手食をさせてもらった。

お米とインゲンのソテーとチキンカレー。
右手ですべての食材を混ぜて食べる。

Tさん以外は日本語が話せなかったので、家族の前では英語で話した。ちなみに一番盛り上がった話はインド映画のRRR。ネパールは公用語がヒンディー語のためインド文化はなじみがある。みんなでRRRの主人公2人のハイスピードダンスのマネをして終始爆笑した。

食事が終わってひと段落すると、家族全員で写真撮影した。全員ピースをしており、ネパールでも共通なのかと少し驚いた。TさんとはLINEを交換し、その日は宿まで送ってもらった。

次の日の朝Tさんから連絡が来て、出発まで時間があればもう一度来ないかと誘われた。わたしは昨日のお礼にとキットカット抹茶味を持ってまた向かった。

Tさん一家と猛暑でデロデロになったキットカットを食べつつ、昨日は見れなかったベランダからの景色を堪能した。

ネパールの家は縦に長い。

この日は昨日と打って変わり、Tさんと日本語で真面目な話をした。彼が日本に移り住んでからの葛藤と苦悩である。

彼は日本で2回転職を経験したそう。特に2社目の輸送会社では外国人であることから理不尽な扱いを受け、奥さんと一緒に職場に訴えに行ったという。その後奥さんはNPOを立ち上げ、現在岐阜に住む外国人向けの家庭の福祉支援をしているらしい。

彼曰く、日本にいる間はネパールにいるときよりストレスが多いため独り言が増えるらしい。明るい印象の彼がこんなにも日本で苦労していること、それでも日本で暮らすことを選んだこと、そして夢を語れることが誇らしいと思った。

出発前にTさんと家族にお礼をすると、Tさんの母から「次は日本でTさんの家族と会ってあげてね」と言われたので「ぜひ会って恩返しさせてください」と言って別れた。見知らぬ日本人女性に対してTさんと家族全員が優しく迎え入れてくれたことに感謝した。

Tさんと出会ってから4か月後、年末に弟が住んでいる岐阜に母と行くことになった。そのタイミングでTさんに会えないかと連絡をすると快くOKをもらえたため、Tさん一家に会いに行くことにした。

Tさんの家は奥さんとお子さん2人の計4人。こんな機会はないからと、母が奮発し柿の葉寿司など1万円相当の手土産を準備してくれた。Tさんの家では家庭料理をふるまってもらった。

ネパールの家庭料理の定食(ダルバート)。やみつきになるスパイスの味がたまらなく美味しく、すべて2回おかわりした。

家ではネパールの音楽がかかっており、壁一面にチベット仏教の絵がかかっている。お子さんは3歳と5歳と小さいながら日本語もネパール語も話し、ピアスを付けている。これまで海外にルーツをもつ日本人との関わりがなかったため、とても刺激的だった。

そしてお子さんが泣いたらあやし、けんかをしたら叱るといったように、ネパールでは見れないTさんのパパとしての一面を知れたのが面白かった。次はわたしの地元に遊びに来てね、と言って別れた。

あの時Tさんから声をかけられなかったらこんな素敵な出会いはなかったと思うと、人生一期一会だなと思う。これだから海外一人旅はやめられない。

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